今年もあとわずか
あっという間の年末、いつも間に合わないのですが・・・ 昨日、去年の年末に書いたお客さまあての返信メールが草稿箱に残ってたのを発見しました。 時が止まったように、ほぼ停滞していたこの1年に改めてびっくり・・・ 今の心境として、ちょうど良いのでブログ原稿にしようと思います。 あれから・・・ コロナはますます勢いを増し、変異し・・・ 戦うつもりの人類は、商品の製造・流通過程で起こる、通貨格差による差益搾取がうまくいかなくなってしまったため、今度はワクチン製造と流通による利益追求に方向転換したか?という感じです。 今回のコロナ騒動で、いわば不都合な真実が明るみに出て、世界中のベクトルが一方向・・・すなわち利益追求・・・であって、それに成功したものが勝ち、敗者の存在は存在として認められない・・・しかし、そもそも敗者が居るから勝者も存在しうる、ということにいまさらながら気づいた次第です。 つまり、ベクトルは格差なんですね・・・ 環境中の多様性とは・・・ 食うものと食われるものがあり、一種の競争はあるにしろ、存在価値は平等です。 どちらか一方だけが残ることはありえない。 かれらはたぶん戦ってはいないのです。 戦う・・・最後の1匹まで殺しあうことは=絶滅ですから。 振り返って、未来とは何ぞや・・・ 継続が可能であることです。 やまね工房を立ち上げたとき、学生のボランティアで募金をすることに違和感を感じました。 学生という身分で、社会貢献として活動することには、幾分偽善も感じていましたし、それを生業にすることで存在を継続できると考えたのでした。 で、約40年・・・現在もいくらか形を変えて継続しているつもりですが・・・ たぶん、方法論として、40年後の今はやまね工房としてやらなくちゃと思っていたソフトな路線はたしかにいくらか効果はあり、続いたということは間違っていなかったとフィードバックしてもらった感があるのですが・・・ もうそんなことでは間に合わないし、それぞれが得意分野を駆使して、循環を促進することに着手しなくてはという危機感がつのるばかりです。 人類にも存在価値はあるはず。 ひとりひとりが真剣に考えれば、たとえ間に合わなかったとしても悔いは無いと思います。 ていうことで、あっという間の1年、あまり進歩は無いですね・・・ ほんとに間に合うのかな・・・