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ぬいぐるみ写真のご紹介

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テーマ:うちのやまねトリオ ペンネーム:- お住まい:北海道 旭川市 白樺の木の枝の上で仲良くやまね団子♬ 15年前に姉に買ってもらってから、毎年1匹ずっ増え、現在3匹と過ごしています。 名前はチッチ・ツッツ・テッテです。 クリクリの目、ふさふさの尻尾、全てが愛くるしい子達です♡ これからも、私の癒しの存在であることには間違いありません。 落合より なんだか暑さに負けて・・・ 掲載がすっかり遅くなりました、ごめんなさい。 しかもお名前が行方不明・・・とほほ 残念ながら、北海道には「ニホンヤマネ」は分布していませが・・・ 網走に店舗、札幌でもかなりの長期販売していただいたので 北海道在住の、ぬいぐるみ「やまね」はかなりたくさん居ると思います。 可能性としては、箱根や熱海にもかつては居た、もしくは現在も居るかもしれない・・・ いずれほんもののやまねが、近くで見られたらいいな・・・ いえ、たとえ見られなくてもやまねが住める環境が、これ以上減りませんように。 願わくは増えますように。

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テーマ:お気に入りの場所 ペンネーム:タロ お住まい:大阪府 この子との出会いは正直いつからなのかちゃんとは覚えていません。そのくらい物心ついた時から家にいて枕元に置いて寝ていました。 実家は長野県で祖父がやまねやカヤネズミの研究をしていたのでおそらくその関係でおうちに来たのだと思われます。 実家を離れる際に枕元にあったこの子を連れて行きました。それから長野→東京→大阪と引越していますが、この子もずっとついてきてくれています。 東京に居た際、木彫りのお家がきて主にその中で暮らしてもらっています。 それから結婚して奥さんもこのやまねを可愛いと気に入ってくれていて、お揃いでお迎えしたいね〜と話していましたが、そういえば「この子はどこから来たのだろう」とそこで初めて疑問に思いました。今まで側にあるが当たり前になっていて考えたこともありませんでした。奥さんが調べてくれて初めて、やまね工房さんを知りました。 それが2.3年前だったので網走店は閉店されていました。お揃いにしたいと思いつつも、今いるこの子を大事にしていきます。 落合より おじいさまが研究者、とは! もしかしてわたしの知り合い? 作り始めた頃は、実物や研究されている方に会おうとあちこち行きました。 かやねずみは実物は飼育下のものしか見ていませんが、自宅敷地並びで作りかけ の巣を見かけたこともあり・・・ 現在もですが、夕方からフクロウの声が聞こえていても、その時間帯は車の走行 が多くて・・・ 知っている鳴き声を聞き取ろうとしない限り、聞こえないのだろうな・・・と思 います。 残念なことですが、たぶん、現代人の耳には聞こえなくても良い音なのでしょう。 いずれにしても、ちょっとした気持ちの余裕で、聞こえる音、感じる気配・・・ 大切にしてほしいです。 やまね、大事にしてくださって、ありがとうございます。

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テーマ:網走のやまね工房通いました ペンネーム:まっす~ お住まい:北海道旭川市 実家が網走にあります。20年?30年?前に帰省した際、こんな山の中にかわいい工房ができた!と興奮。 以来、帰省するたびに工房に遊びに行き、少しずつお仲間を連れて帰りました。 エゾリスは娘の、他は独身の頃に私がゲットした子たちです。 なんの気なく「やまね工房」でググったら、こんな素敵なページにたどり着きました。 うちの子たちも見てやってください! 落合より 30年の重みって、それが過ぎて初めてわかるものなんですね。 ありがとうございます。 続けて良かった。 生きててよかった。

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  テーマ:可愛いふくろう ペンネーム:ひろころ お住まい:滋賀県彦根市 初めてこの可愛いふくろうのぬいぐるみを見つけたのは25年程前スキー帰りの長野の道の駅でした。白くてふわふわで目がとっても綺麗! 一目惚れして連れて帰りました。(右の子) あまりにも気に入りすぎて、やまね工房というタグを頼りに検索するも、自宅の近くではもうこのふくろうには出会えないと知りがっかり… それから10年後、京都に旅行に行った時、嵐山のお店でやまね工房さんのぬいぐるみを扱っている所があると知り、一目散にその店へ すると…いました!夢にまで見た可愛い子が! そして連れて帰ったのが左の子です。 本当に本当に可愛くて、毎日癒やされています。 落合けいこ様、この子達を生み出して下さって本当にありがとうございます。 落合より 10年以上前の・・・ 町工場全盛の時代をほうふつとさせる「とてもよくできた」製品としての 「ふくろうのひな」です。 じつは、わたしが1つ作った、雛型としての試作品よりもはるかに良く出来てい る、と思います。 それは日本の町工場の、職人の、「技術力」です。 はじめは、規格品としての「ぬいぐるみ」と、わたしが求める「生きいるみたい な」多様性との間にある種のギャップがあって・・・今から考えるととても難し いことだったのだろうと思いますが・・・ それこそが日本の町工場の底力だったのだろうと。 たぶん、奇跡とも言える出会いだったのだろうと感じています。 だからこそ、いまだに大切にして下さったり、次世代にも引き継がれて、 いわゆる「アンティーク」として残るかもしれない・・・と、 ひそかにほくそ笑んでいます・・・ ありがとうございます。

久しぶりに一点もの製作

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このところ、早々に出来た台風や、低気圧、梅雨寒などで体調が安定せず… 軒下にやってきた、モリアオガエルの団体さん…卵塊やおたまじゃくしのお世話などで忙しく… 一点ものの製作が疎かになっておりました。 久しぶりにたぬきの子、三兄弟を製作したのですが。 はたと気がついちゃったのです。 一点ものは、意匠が必要なので… 量産品とは違う、技術が必要なのでした。 量産品には量産品の技術があって、たぶん「やまね工房」の商品は、そのような「町工場」の技術に出会ったからこその奇跡に近い…いや、必然だったのだろうと… だからこそ、今でも大切にして下さる方々や、また欲しいと希望される商品が出来たのだった、と。 意匠が必要な一点ものは、まさにわたしにしか出来ないもので、それはご先祖から頂いた、稀有な才能であろうと… 一点ものは、まさしく自然界がそうであるように、1つ1つ、同じものが無いにも関わらず、それぞれにぴったりのプロポーションや、表情を持ち、だからこそ生きているように見えるのだ、と。 それは、作品を作る人のみが自信を持ってやるべきことで、他の人には出来ないものなのでしょう。 それが、アートというものなのかも。

来店されたお客さんが連れてきてくれたもの

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最近、来店される方はよく、ずっと大切にされているずいぶん前からのぬいぐるみを、全員連れてきてくださいます。 比較的最近・・・といってもここ20年くらいは、町工場から直接販売店に送っていただいていたので、熱海の工房は通過して居ませんが・・・ 20年くらい前までは熱海から発送していたので、まさに里帰りです。 やまねは、仕上げに顔をトリミングするのですが、ほぼわたしと母が担当していました。 町工場でカタチは出来上がっているので、顔のトリミング、背中の線描、検品を1点ずつ、1日に多いときは300匹。 母が100くらいは出来たので、2人で400くらい。 鋏を手にしていないときは食事の時だけ、という感じでした。 いまでは懐かしい思い出ですが、町工場も廃業、母も97歳で亡くなり・・・残念ながら継承は不可能でした。 修理を頼まれることもありますが、カタチが変ることを好まないお客さまもいらっしゃるので・・・ 量産品には量産品の良さがあって、それはじつは1点作るのと違う技術です。 1つ1つにこだわらなくても、ほぼ同じものが同時にたくさん出来上がるシステム、されはまさに日本が誇る世界に勝る技術だったのですが・・・ コロナで明らかになったように、人件費が安いところへと仕事が分業されていき、技術の評価は置いてゆかれました。 なので、基本的には量産品のシステム自体が無くなってしまったので、同じものは出来ません。 修理も、可能ですが、量産品とは違うので・・・ 元通りにはなりませんし、お任せだとどうしてもそれを素材にした作品になってしまうので・・・ 郵送での修理はお受けしないことにしました。 ご来店の上、目の前で触ってよいところだけ手をいれます。 手をいれてしまうと、元には戻せないので。

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テーマ:思い出 ペンネーム:ぽんまま お住まい:愛知県 小学生の時から家族で毎年八ヶ岳にスキー旅行に行っていました。その度に両親に清泉寮でやまね工房さんのお友達を1匹ずつ買ってもらい集めていました。かわいくてかわいくて、今年はどの子を買おうかな、と楽しみに旅行に行った記憶があります。 モモンガちゃん以外みんな清泉寮のお友達です。清泉寮でモモンガちゃんたちも買ってもらいましたが、甥っ子達が気に入って、連れて帰りましたので、また後からうちにきたモモンガちゃんが、写真にうつっています。(清泉寮のモモンガちゃんたちも元気にしています) 私の娘はコノハズクがお気に入りで、ペンダントをつけています。保育園に行っていた時、毎日祖母(私の母)がこのコノハズクをつれてベビーカーでお迎えに行ってくれていましたが、ある日うちに帰るとコノハズクちゃん(ホーホーちゃん)がいなくなってしまったそうです。 どこかで落としたと思い、祖母と娘は保育園からの帰り道を辿って探しましたが見つけられず、仕方なくおうちに帰ろうとしたそうです。すると、どこからともなく、風に吹かれてこのホーホーちゃんが転がって娘のベビーカーのところに戻ってきたそう...娘は喜び安堵して、今でもホーホーちゃんを可愛がっています。 今年も、私の家族、そして両親と兄家族みんなで八ヶ岳にスキー旅行にいきました。思い出の場所でやまね工房さんのお友達がいないのは少し寂しいですが、兄と私はやまね工房さんのことを思い出しながら旅をしました。 やまね工房さんのお友達をこれからもうちで大切にしていきたいと思っています。 落合より ぽんままさま まさに「家族の幸せな思い出」が今を作っている・・・継続編ですね・・・ ほーほーちゃんが戻って良かったです。 「ぬいぐるみたち」は生きものではないけれど・・・ そして野生の生きものや植物に対しても、意思は持たないと信じている方たちも 居るみたいですが・・・ わたしはどちらも、確かに意思を持つ、と感じています。 「ソリ」の合わない人間同士よりも、よほど意思の疎通があるのではないかしら。 余談ですが・・・ 人間同士なのに、戦いが止められないのは愛されて育たなかったのかな・・・ 幸せな思い出が無いからかも・・・

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テーマ:また一緒に暮らそう ペンネーム:ヤマノハ お住まい:富山県高岡市 私とこのやまねとの出会いは小学生のころになります。 やまねミュージアムで売られていて、やまねの生態を見た後だったので愛らしさのとりこになりました。 どうしても欲しくなり家族にお願いして買ってもらった子になります。 旅行に連れだしたり、部屋でかわいがっておりましたが突然どこにいるのかわからなくなってしまい、しばらくは一緒に過ごすことができない時期がございました。 昨年自分の部屋の掃除をしていた時に偶然この子を見つけ出し、再び出会うことができました。 かなり長い期間部屋の中で冬眠していたような姿で見つかったのですが、懐かしさとまた出会うことができた喜びで思わず涙が出ました。 片耳が少し怪我をしている状態ですが、再び出会えた縁に感謝してこれからも大切にするねとこの子に伝えました。 この子はハヅチという名前を付けて、以前のように旅行に連れだしたり、部屋の留守番を他のぬいぐるみとともにお任せしてかわいがっております。 やまね工房さんの作品ではありませんが、現在販売されているやまねミュージアムさんのやまねのぬいぐるみの子とともに仲良く過ごしております。 いつかそちらに向かうことができましたら、この子と一緒にぜひ落合様にご挨拶させていただきたいと思っております。 落合より ヤマノハさま 投稿ありがとうございました。 30年の歳月は、過ぎてしまえばあっという間でしたが・・・ このところ、お客さまから「子どもの頃に出会った」というお話しを伺うことが 多くなり、ますます「幸せな思い出」の一部になれていた、と実感しています。 それは、わたしにとっては思わぬ「おまけ」であって、ひょっとしたらぬいぐる みのやまねたちがもくろんでいたのはそっちだったのかな?とも思います。 なぜって、こどもの未来にとって、いちばん大切なものは「幸せな思い出」だと 思うから。 それがあれば、人生においてけっこうな試練があったとき(試練の無い人生はあ り得ないけど)、誰かを恨まないですむのではないかしら。 自分の身を振り返っても、境遇はかならずしも平均的な家庭ではなかったけれど 両親に愛されて育った記憶が、今の自己肯定出来る自分に繋がっていると感じて います。 そして、今の社会でもそれは同じだと思うのです。 少なくとも子どもは祝福されて生まれ

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テーマ:相棒 ペンネーム:もなか お住まい:奈良県香芝市 初めまして 奈良県に住んでおります。21歳の大学生です。 写真のももんがは僕が小さい時に両親が購入し譲ってくれたものです。 物心ついた時から一緒にいて、電車に置き去りになりかけたり習い物に持って行ったりといろんな冒険を僕と共に過ごしていました。 今でも枕元にいる僕の最高の相棒です。 2020年の3月頃に新しくやまねを購入した際に、特別にももんがを譲ってくださったおかげで元いた相棒・新しく加わったももんが・やまねたちも含め、たくさんの仲間と共に今も枕元にいます。 いつか、家にいる「ももんが」と「やまね」をつれて落合さんの元にお伺いしたいと考えています。 その際に可能であれば、また新しい仲間をお迎えしたいです。 落合より ありがとうございます。 最近、多いのが同じ「ももんが」や「やまね」をいくつもお持ちで しかも全部に名前がついていたり、みんなを連れて熱海の工房に里帰りさせてくれる方々。 多くは20代から30代の方々ですが、今も大切にしていただいていて。 ご自身のお子さまにも・・・ と。 あるいは、ごく最近になって出会った、とおっしゃる方々・・・ もう製造していないとネットで知った・・・ 30年という永い間、同じものを作り続けられた結果だと、改めて感じます。 このような結果が待っているとは、10年前にはわかりませんでした。 作れなくなってから、というのも皮肉なものですが・・・ まだ、材料が残っている限り・・・ こちらの命があるうちは形にしたいと思っております。 期限は誰にもわかりませんが・・・ これも何かのご縁ですね・・・ 是非工房に遊びにいらしてくださいな。 「里帰り」

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 テーマ:思い出の品 ペンネーム:こむすけ お住まい:横浜市 父と、今は亡き母と原宿に行った際、帰るのを渋った私が、買ってもらったえぞももんがです。実家で久しぶりに見つかりました。検索して、Cotton 様のHPを見つけました。 懐かしい思い出が蘇りました。いつまでも大事にしたいと思います(妻の話をお伝えします)。 落合より 原宿と言えば・・・ 駅前の積雲画廊さんでしょうか・・・ いちばん最初の個展から始まって、何度か展示をさせていただきました。 女性オーナーのお連れ合いがパイロットをされていたので、積雲・・・ 今は鬼籍に入られた、当時野鳥の会職員でとてもお世話になったFさんのお友だち。 今は昔、懐かしいです。

2022年~2023年へ

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1年365日、季節は同じように巡りますが・・・ 後遺症~の1年は長いのか短いのか・・・よくわかりません かれこれ10年 といえばひと昔 思えば遠くへ来たもんだ コロナウィルス~の は、後遺症~わたしの1年と、いわゆる健常である方々の1年が たいして変らないものになった気がする そもそも1年という区切りは人類が予定行動するための 便宜上の取り決めだから 1日分の楽しいこと、1日分の苦しいこと、日が昇ってから沈むまで ぼーっと生きることの難しさ 今、が未来永劫続くはずは、そもそもあるわけないので 今日の1日はもちろん2度と無い1日 良いことばかり続くことは無いし、また悪いことばかりが続くことも無い そのように1年は1日の連続で出来上がる そのような1日に顕著な違いは無いのに関わらず 年末になるとなぜか 生きることの「意味」を考えたりして・・・ 死に損なってわかったこと・・・ 世の中に偶然は無く、全て必然であろうと思われる この世で出会う出来事、人、植物や動物、あらゆる「もの」とは 何かの「縁」があるのだと思います。 つくづく有難いのは、「やまね工房のお客さんたち」が、化繊の生地から生まれた 「いきもの」もどきたちを実際の生きもの同様、家族として迎えてくださること 新しい年も、1日でも長くそのような幸せな「ものたち」を生み出したいと思います。 PS 猛禽類医学研究所のクラウドファンディング、第2弾実施中です。 今回はシマフクロウひなのみ提供しています。 生地は使い切りで使用予定。 わたしのコメントも載せていただいています。 国産ハイパイル、化繊ではありますが、最後の職人技で作られた、最後の生地を有意義に使えそうです。 唯一の縫製スタッフが、裁断・縫製は終えていますが、ただいま製作中です。