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7月, 2014の投稿を表示しています

梅雨明けの庭

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玄関先で帰宅を迎えてくれた、観葉植物「ベビーティアーズ」またの名は「アイリッシュ・モス」。寒さには強いのだが、蒸れに弱いので夏を越すのが難しくて、季節が良ければ地面に接したところからどんどん増えるのだが、いつの間にかなくなってしまってまた市内の花屋さんで小さなポットを購入・・・の繰り返しこの株はもう3年目くらいかな、普通の緑色のと、黄色がかったのと、白っぽいのと、3種類あるんだけど、これは白っぽいのが途中から緑に戻りつつある感じ 風に揺れる白鳥草、またの名はガウラ(たぶん学名)。 越冬したテラコッタの鉢から出てきたんだけど、植えた覚えがなくて、冬のうち何だかわからなかった、先日、長野の生産者さんに聞いたら、持ってきたかも・・・ということで、お里がわかりました。 メドウセイジの名でハーブに分類されるサルビアの一種、めちゃくちゃ丈夫で雑草化して、抜いても抜いても、種からも出てくる。根っこが紡錘型で、ダリアの様。 イノシシのおかげで整備した、段々の歩道に、シダの仲間が勝手に生えました、なかなか涼しそうでいいでしょ。 しんがりの紫陽花、いただきものの挿し木で品種名不明の八重咲。 これも一鉢いただいて、そこに置いたらコーナーが出来るほど広がってしまった「コンテリクラマゴケ」、紺照り鞍馬苔木洩れ日程度の場所に置くと、その青緑がそれは美しいのだが、差し上げても、日当たりのいい場所だと居ついてくれないみたい。

プチ社会復帰・その2

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ホクシア、またはホクシャこれもたぶん学名、和名はたぶん英名の訳 で、「女王さまの耳飾り」これは吊り鉢仕立てになっていたものを、ご近所にお住まいで、数回だけご教示頂いた後転居された津軽三味線の師匠から10年以上前に頂いたものの子孫、ハコネヒメシャラの木陰でずっと路地越冬していて、初夏には毎年咲いてくれる。 4月、当日。 駅まではうちに来てもらっている工房スタッフに送ってもらって、タクシーで行きました。直前にしょうがい者手帳を支給されたので、タクシーは一割引いてもらえます。じつはこのしょうがい者手帳もいわくつきで・・・交通機関、JRとかも割引があるのですが、100キロ以上、乗車券に限られて、介助者ともども2名が半額になる、というものです。しかし、品川駅は熱海から100キロに満たず、よって特急券が次の東京よりもかなり安く、じつにグリーン券(送迎サービスには指定券をとる必要があるが、乗り継ぎがタクシーのため時間が読めず。で、乗り遅れる可能性を考えてひとつ後の指定席をとり、前のに乗れたら自由席に変更してもらって、座れなかったらグリーンに変更するという方法をとりました)は品川と東京で倍になる、という料金体系。東京まで在来線を使ったら全行程で片道4時間はかかりそうで現実不可能です。結局、二名半額というのは交通機関は全く損をしないっていうことなんだな。特急券は対象外なので、もちろん割引はなしです。 このしょうがい者手帳は県が発行するものだそうで、申請には当然ですが医療機関の診断書が必要で、発行までにほぼ3か月かかります。退院時に申請したので発行されたのは4月、しかも県から郵送されると聞いていたのに、実際には市役所まで本人が取りに行かなければならず、そのときはまだ手帳がない状況なので、なんだか違和感を覚えました。しかも、市役所が工事中で、駐車が出来ず、手帳受け取りや高額医療の払い戻しに何度も市役所まで、自腹で命がけで行かなければならず、この国の福祉を疑いました。そうやって苦労して行ったにもかかわらず、未だに高額医療の払い戻しは振込されていないし。 で、話を元に戻して、改札から乗車までは駅の職員が、まあ駅員さんですね、駅備え付けの車イスを押して送ってくださり、乗車から席までは車内の車掌さんが介添えしてくれます。最初のとき、感動して、さすが日本のJRと思ったものでし

プチ社会復帰・その1

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もう今年の花が終わってしまった「シロバナネムノキ」の葉についた 雨滴 涼!! 4月、5月の出来事ですが、そのとき原稿を書く余裕がなくて・・・今頃になってしまいました。 まだ入院していた1月のことです。女子美術大学講師の仕事、前期をどうするか、決める必要がありました。 4月中盤から5月連休明けの間の3週間、各3日、去年・一昨年と2年、9日間の、その授業はわたしが一人で担当していたのでした。新しい学科編成になってから去年が4年目で、わたしの担当授業は3年生からなので、今年は3回目となります。 やまね工房の仕事は日本の零細製造業である故、その外的要因から、いつまで続けられるかわからないし、今あること自体が奇跡的とも言える状況です。 講師の仕事は、これから、後継者のいないこの世界をある意味次世代につなぐ大切な仕事と感じていたので、なんとかして続けたいと思っていました。おかげさまで首にならなかったし。 で、病院のソーシャルワーカーさんやいろんな方に相談して、自分なりに考え、9日を6日に短縮して、初期のやまね工房を手伝って貰っていた上、今も個人事業主としてぬいぐるみを扱ってくれている友人に助っ人を頼むことにしました。 どうやら新幹線を利用すれば、改札から下車駅の改札まで、車イスの送迎をやってもらえるらしいと聞き、最終的には自分で熱海駅に電話をかけて確認しました。 乗り継ぎはたぶん無理なので、品川駅で下車してそこから学校まではタクシーを使うことにしました。そして、理学療法士さんの強い勧めもあって、とりあえずテストでその行程を試してみることに。 実際、行ってみたら・・・最初のときは品川まで友人に迎えに来てもらい、タクシーで現地に行き、研究室で昼食を食べさせてもらって、帰りは品川の改札まで助っ人に送ってもらい、帰ってきただけなのですが・・・ 恐ろしく疲れて、あと3日くらいはへろへろでした。 そこで、わたしは予定と思っていたことが、じつは目標だったと知りました。つまり、現段階では予定を組むことはわたしには不可能だとわかったのでした。 そして、それから初日の4月半ばまで激しく落ち込みました。 普通に息をして、ごはん食べて排泄して・・・一日生きてるだけでこんなに大変なんだって初めて思いました・・・加えて再発の恐怖。 予定→相手があってのお約束

ランチ

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先週末、同級生3人で近郊のお店までランチに行ってきました。 小学校と中学が一緒だった地元の同級生です。 微妙なお年頃の女性3人、しかも3人とも杖・つえ・ツエです。 わたしは垂直がまだ帰ってこないので、杖を使ってもちょっと危ない感じ。 うち一人は運転が出来るので、彼女の提案と運転で行ってきました。彼女もまだ入店はしたことがないそうで、期待と不安がいっぱいでしたが・・・ 外観は石造りの、おしゃれなたたずまい、道路脇でかなり以前からあったのは知っていましたが、以前とはオーナーが代わったと記憶していました。 で、入り口に少し階段があって、いくらか不安・・・でも若いスタッフが手を貸してくれて、無事入店。 コースからハーフコース、手ごろなセットメニューもあって、ドリンクとサラダ、スープとデザートプレート、オリジナルのパンかライスが付いています。 わたしはランチセットのクリームコロッケ、あとの二人はハンバーグのセットをオーダーしましたが、ソースも選べるし、メインのお皿には付け合せに野菜がいっぱい。素揚げしてあったり、姿のままボイルしてあったり・・・盛り付けも美しくて、お料理が好きなんだな、と感じるものでした。 スープはかぼちゃの冷製で、トマトのシャーベットが付いていて、量は少な目でしたが、たくさん食べられないわたしにはベストマッチでした。 デザートプレートも平井のスイカとか、地元の名産も入っていて美味しかったし綺麗でた。スタッフもほとんど女性でしたが、帰りも手を貸してくれて感じがとても良かったです。 画像を撮るの忘れちゃったんですが、画像では伝えきれないので言葉で。 ついでがあったらぜひ行ってみてくださいな。 身体しょうがいになってから、たぶん当たり前のことが、とてもうれしかったり、 またはそれがないことにひどくショックだったり・・・たぶん今まで気が付かなかったんですね。 こちらが、 お店のページ です。 画像は見ごろを過ぎたけれど、それなり美しい紫陽花。

病気後の初仕事

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細かい作業や大きなもの、重たいものは出来ませんが、ちょうど良いくらいの?お仕事を頂いたのでやってみました。 「種差海岸インフォメーションセンター」のウミネコの雛。 画像を見て、商品の たんちょうのひな をアレンジしたら出来そう?と思ったので、縫製は遠藤さん(やまね工房製品の縫製をお願いしている)に頼んで、足は水かきが付いていて違うので、新たに型を起こしてうちのスタッフに縫製してもらおうと。 仕上げは時間かかりそうだけど・・・で、ひと月弱で出来ました。 卵のレプリカや「ウニ」の展示と一緒にウミネコの一大繁殖地、蕪島の近くにある、上記のビジターセンターに設置、無事オープンしたということです。 お近くにいらっしゃる機会がありましたら是非。 わたしはまだ公共交通機関ですら「夢」なので、当分無理ですが、時間はたっぷりあるので、行ってみたいところは増える一方です。 いくらでも動けるときは、もちろんお金もなかったけど暇が全然無かった。 それでも好きな仕事ばっかりやりがいもあったし、行けなかったことは全く苦になりませんでしたが。そのうち、行けるようになったらいいな~高齢の母が動けるうちに、もう一度網走にも連れて行きたいし、沖縄・石垣島、京都も。 今回、この仕事は「まだ早いかな~」と思ったのですが、ひとつは東北地方であること、もうひとつはこんな当てになるかどうかわからない状態のわたしに、仕事をくださる心意気がありがたいと思って。 今から考えるとあの「血管事故」は、もちろん直前の決算や東京通勤などの超多忙、締切仕事やボランティアの過労、犬の死や、様々な能力をはるかに超えたストレスが原因と考えられますが・・・遠因には、あの東日本大震災があったと感じています。 ずっと環境保全や人間を含めた生きものたちのことを考えてきて、あの大きな災害を目の当たりにし、当地は直接の被害を受けなかったものの、であるからこその無力感。何かしたいけれども出来ないもどかしさや政治の在り方についての疑問など・・・とりわけ原発事故。毎日地震や事故関連のニュースから目が離せない、が、自分には何も出来ない。それでも、2度くらい当時の管首相官邸に意見書を送ってみたり・・・ そして3年、原発事故当時の施設長、吉田さんの死と、あれを教訓にしたとは思えない政治が、

箸休め・梅雨の終盤

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まだ梅雨明けしていないというのに台風が出来、あちこち前線を刺激して被害をもたらしたうえ、ようやく温帯低気圧になりました。 台風が高気圧と高気圧の間を通ると地震が起きるという、根拠があるような、ないような噂の通り、地震もいくつか起きました。 で、台風が出来る2週間くらい前から、なんだか体調がすぐれず・・・垂直がより分かりにくくなるし、なんだか良く成らずに悪化した感じ。でもたぶん、感覚がいくらか戻ったせいで、肩こりや筋肉痛をより感じてしまうというだけなのだろうと思う・・・ このところ、持久力が少し付いたのか、夜9時以降でも起きていられるようになりました。ちょっと前まで見たいドラマがあっても、眠いわけではなくても横にならないとだめでした。 それに、可動域がだいぶ増えて、数日前にはトイレの天井が始めて見えました。 寝返りも手すりにつかまらなくても出来るし。 退院した一月末には、手すりにつかまらないと寝返り打てなかったし、横に寝るのも辛かったのですが。だから、ちょっとずつ出来ることは増えています。 まだなかなか目の焦点が合わなかったり、垂直がわからなくてふらふらしたり、振り向こうとして目が回って、しりもちをついてしまったり。座っていればだいぶ楽ですが、相変わらず揺れている舟の上で生活しているようです。頭が動くと垂直だけでなく左右もなかなか修正できません。だから、うちの中を歩くときも先に手が出てしまってカメレオンです。手に頼るから、余計足がしっかりしないのかもね。 しかし、ようやく食事が苦痛ではなくなってきました。 体重がなかなか増えず、食べなくちゃという強迫観念や、再発が怖くて甘いものや大好きな果物を控えてしまったり。 でも、再発するときはするんだし、食べたいもの食べないで再発しちゃってもね〜って考えたら・・・で、食べたいと思うものを食べることにしました。 冬瓜スープとトマトサラダ 豚ヒレ・バルサミコ風味、フェタチーズとトマトのサラダ、蕪の葉っぱとお豆腐の味噌汁 北海道旅行のおみやげ「焼きとうきび・おかき」雰囲気が出てるし、とうもろこしの粒も入ってておみやげとしては◎