闘病(というより後遺症との付き合い) その②
小田原のイベントが終了して。 なんだかうまくいき過ぎ。 3回目の今年。 去年のローザンベリー出張も、一昨年のファンケルも。 無事に行ければ御の字だったくらいなのに、おかげさまですごく楽しくて。それが今年の小田原に繋がっていて。 然るにこれはやっぱりドレスデンのお導きではないかと。 前回、動植物とも何らかの意思疎通が出来る気がする、と書いたのですが。 同じことが肉体を失った繋がりのある「故人」にも言える気がするのです。 その方たちが応援してくれている気がして。 11月に、長い付き合いの友人が星になってしまいました。 彼女は現代アートの作家で、モチーフは主に植物、わたしと同い年で。 わたしより少し前に重い病を得て。 2017年・重予んちの八重桜 2017年・重予作・切り花 2017年重予の花壇 2017、重予んちの桜塩 わたしが五体行方不明になってから、お互いの趣味に合うモノや食べ物を送り合ったり、メールのやり取りをしていて。 お互い、作品を作ることが生きることだったのに。 思うように出来なくなっちゃったから・・・ お互い、何かうれしいことがあったら一緒に喜んでくれて。 悲しいことや辛いことはぐちって。 星になってしまって、悲しい、という言葉では表現しきれない気持ち。 じつは去年も彼女の希望で「花絵本」パンジーたちを下田農園さんから送ってもらったのです。 すごく喜んでくれて何度か写真を送ってくれたり、今年も欲しいということだったのですが・・・ 今年は秋の天候がヘンテコで、11月初めにまだ送れていなくて。 緊急入院したから、送っていなかったら止めてほしいというメールと、まだ送っていなかったから止めた、という返信が最後のやりとりになってしまいました。 他人の不幸は蜜の味、と言うけれど・・・ 表面的な付き合いではなくて、長く付き合える友、と言える友人は。 うれしいことを一緒に喜べる。 だから、こんなにうまくいったのはその友人や、園芸の師匠の采配みたいな気がします。 だって、一緒に講演をした方々も、その師匠にゆかりのある方だったし。 運動能力だけを見たら、とても「園芸」界ではやってゆけなくなっているわたしが、こんなにあちこち(3年かけてだけど)出かけ