闘病(というより後遺症との付き合い) その①

いつの間にか、クモ膜下出血から4年が過ぎ、もう少しで4年半というところになりました。

脳の事故なので、その前後の記憶が無いのとシステムが壊れて学習したことがほぼ出来なくなっちゃったのですが、データとしての記憶は無くなった訳ではなく。
たぶん、インデックスがとんじゃって取り出せないだけなので、それを付けなおせばまた使えるのかもしれません。

人工で作ったのを「電子頭脳」、というだけあって、そのあたりはコンピューターの仕組みとそっくりだなぁと妙に納得したり。

脳というのはコンピューターよりさらに汎用性があって、失った機能を別の場所が肩代わりしたりもあるらしいのですが・・・

残念ながら、わたしの脳はすでに還暦を迎えて中古もいいとこなので、不要なデータで一杯になってて、簡単には肩代わりしてくれないみたいですが。
データを圧縮して、要らないのは捨てちゃえば良いんですけどね。

しかし、運動能力と情報処理能力を失った代わりに、脳の古いところが活性化された感じはリアルにあります。

例えば、入院中に文字が書けないとき、絵が描けたり。
文字や数字、スマートフォンの操作など、最初は全然ダメでしたが、そのうち再学習出来たみたいで今はほとんど不自由は感じない程度になりました。

情報処理はまだだめで、住所録や調べものはとても難しいです。
短期の記憶がうまくいかなくて、人の名前や数字の記憶、文字列と数字はよほどの印象がないとすぐに消えてしまいます。
同年配の友人は年相応だとなぐさめてくれますが・・・

それは、以前に比べて3重に書き留めているつもりなのに、たまに約束や予約を忘れるという「日常生活にいくらか支障」のレベルです。

その代わり、感性は以前の数倍するどくなった気がします。

あと、言葉の選び方やいわゆる頭の回転は早くなった気がします。

それから、以前からのところもあるのですが、動植物や鳥と交信できる気がすること。
もちろん、単に注意深く見る時間があるだけかもしれませんが・・・

つい最近、玄関先に巣があるのを教えてくれた「キジバト」の雛が2羽巣立ちました。
巣立ちの前日、当日、ま、偶然かもしれませんが、見せてもらいました。

キジバト巣立ち雛
そして、数日前には窓の外を野鳥が横切った気がして。

今は使っていない「烏骨鶏」の小屋にウグイスが一羽、どこから入ったのか閉じ込めになっているのに気がつきました。
歩行困難な中、何とか裏庭に出て無事解放。

ウグイス残像
呼ばれた気がして見に行くと季節の植物が花を咲かせていたり・・・

これって、後遺症が残ったおかげで獲得した「高次脳機能開発?」

だいぶ前にテレビで見た、視覚障害の方が「エコーロケーション」という聴覚を使った空間認識を獲得するというのと近いものを感じました。

失ったものも大きいけれど、そのおかげで獲得できる可能性もある、と。

思ったことでした。

コメント

  1. こんにちは。はじめてコメント致します。
    すごく興味深く読ませて頂きました。
    高次脳機能開発なのか
    はたまた情報処理能力や記憶に使う部分が、もともと人にも備わっている生き物達と交信する事を邪魔しているのか!
    テレビでよく拝見する動物と話せる女性ハイジさんてもしかしたらそんな感じなのかな?なんて思いました。

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    1. くまくささん、コメントありがとうございます。

      本当に、自分の身に起こったことですが客観的にみると面白くて。
      子どものころ、無意識に学習してきて出来るようになったことを、意識的に再学習する機会を得るという稀有のチャンス。
      楽しまなくちゃ、もったいないです。
      そして、それをたとえば文字や絵にして、誰かに伝えられるというのは、もしかしたら戻ってきた意味かな、とも思えたりします。
      生きてることに意味なんか無い、という向きもありますが・・・
      面白がってくださる方が居る、というだけで励みになります。

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  2. はじめまして

    自分は6年ほど前に脳出血を起こし右半身まひと失語症、ほかにもいろいろ抱えているものです。倒れる10年ほど前に網走の近く、小清水にいました。よく天都山のほうに行ったのでお店で何度かぬいぐるみを買いました。

    最近、網走のことをネットなどで検索するといろいろ懐かしくなります。

    倒れ入院、リハビリして退院、したが前のようにできない。
    それを「受け入れるように」みたいなことを(現実を認めろ、ってことかな?)言われることを感じます。

    自分は利き手だった右手があまり使えないのと視覚的な問題も抱えています。
    言い訳になりますが、タイピングした言葉もあまり良くないと思います。
    失語症も影響してると思います。

    でも、このサイト?HPを見てなんだかうれしくなったし、このブログを読んで全てではないと思うけど共感できたました。

    なんかいい気分です。

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    1. ヒロカズさん、コメントありがとうございます。

      じつはこのジャンルの、いわゆる経験談は、わたし自身が求めてあちこち書物やネットで探した世界です。
      だって、命はどうやら助かったけれど、何がどうなったか、何が出来なくなったか(出来なくなったことは出来るようになって初めて出来なかったとわかる)もわからない世界で。
      現状がそれですから、これからどうなるかはさらにわからない訳です。
      丸4年経った今は、あきらめない限り改善する可能性はあるとわかったし、それを楽しむ余裕も少し出てきたけど。
      同じような環境にある人に、未来のビジョンを持ってほしいな、とこれを書くことにしたのです。
      参考になるかはわかりませんが、少しでも楽しく残りの人生を生きられたらいいな、と。

      たぶん、これから先も後遺症とは一生付き合うようですし、同じ事故(私の場合、血管が裂けたのは特定の病気ではなく、事故のようなものらしい)でも、場所によったり余病の関係で千差万別らしいから同じじゃないと思います。
      でも、後遺症との付き合い方の一つの例として、参考にしていただけたらうれしいです。

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