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3月, 2014の投稿を表示しています

ある日の出来事

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ものわすればあちゃんと身体しょうがいの中年むすめ二人暮らし、ですから買い物は生協(生活協同組合)にお願いしています。週に一度カタログをもらって翌週注文すると、その翌週自宅に配達してくれるという仕組みになっています。 今はネットで注文してもよいのですが、この状態で始めるのは自信がないので旧態然のアナログ発注です。 今の生協は食品・日用品のほかに衣料品や趣味のものまでなんでも揃います。まあ、本来は町の小さな専門店・・・肉屋さんとか八百屋さんとか魚屋さんとか・・・を回って、その日に使うものを購入するのが理想ですが。そういう暮らしが、今の世の中ではとても難しいものになってしまいました。 思えば、30年くらい前の東京・下町に暮らしていたときは、そんな感じでしたが。その当時でさえ田舎はすでに郊外型スーパーが幅を利かせていましたね。脱線しました・・・ で、生協で注文した「国産山菜炊き込みご飯の素」なるものを、夕方ご飯を炊くと言っていた母に、流し台の上に置いて「あとでご飯炊くときに入れてね」と頼んだつもりだったのですが・・・ ご飯を研いでセットしている母に、「あれ?炊き込みの素は?」と聞いたところ「何それ?」ってさっき言っただろう?と思ったけど、流し台のとこに置いたでしょう?どこか仕舞った? って言ってみたら、全然記憶してなくて。 それから探すこと探すこと。でも入れそうなとこ全部見たけどない。そのうち「わたし、何探してるんだっけ?」「あり~?」となって。 それからもういっぺん冷蔵庫を見たら、なにやらそれらしいものが、おかずを入れる蓋物の中にいるではないか。 「う~ん、ここまで来たか。」でした。 炊き込みごはんは、それからすぐに電気釜に投入されて美味しいごはんになりましたとさ、だったんだけど。もう、笑い話。ってか、笑うしかないです。 もしかしたら、わたしと同じようにいっぺんに二つのことは記憶できないのかも。 というかすぐには対応できても、あとで~して、というのはNGなんだね。 こりゃ~えらいこっちゃ。いままでは普通に対応出来てたのにね。 この頃、仕舞ったところがわからなくなって、ずっと探してるうちに「わたし何探してるんだっけ?わかんなくなっちゃった」ということがよくある。わたしが入院する前はなかなか見つからないことはあっても、探してるものがわ

犬たちの写真

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以前書いた記事 に登場した犬です。 2005/6 デイジー一家 2005/1/30 デイジーとガイ 2006 2007/6 網走 テディフレーム 山梨ジャック 家の3匹 デイジーフレーム ガイとサッカーボール ショコラ フレーム

ある日のメール

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こころを病んでいる友人にあてたメールです。 退院してからいただいたメールの返信として書きました。 その方とは病を得るずっと前に知り合いました。 ときどきメールのやりとりをしています。 ここから----------- 人生とは、修行である。 この言葉をかみしめる毎日です。 認知老人と身体障がい者では生活は成り立たない・・・のでした。 でも、成り立たない、と認識できてからは開き直って行政とお金に頼ることに決め、それからは思い悩むことはなくなりました。 記憶や経験則が使えなくなってしまい、ものや流れを再入力する必要を感じたからです。 それをやりつつ、女子美の講師は4月から6日だけやることにしました。 まだ早い、というか完璧にはできないと思いますが、友人に助っ人をお願いして。意欲があるうちに始めないと、外に出られなくなりそうで・・・じつはまだ、杖2本使っていますが垂直がわからず、ときどきよろけるし体重移動もしっかりできません。 リハビリは5か月しましたが、胃ろうで3か月寝たきりだったし、最期になってようやく筋肉が少し付いてきた感じです。 声帯も片方が動いていないので、声もでにくいし、緊張すると少し吃音になります。なにより同時に二つのことが出来ないので、緊張すると呼吸を忘れます。でも、外に出ることは何より楽しいし、他人と接することは必要不可欠だとわたしは思います。 認知の母とふたりだけでは、精神の健康は保てません。 だから、危険を排除するためにお金を使うことにしました。残す必要もありませんし、幸い食うに困るということはありません。 動き、に対して蓄えはできませんでしたが、幸運なことに人にはとても恵まれていますし、その日のご飯に困ることがないのもとてもありがたいと思います。 健康を害して禄を得られないとき、それを補うだけの蓄えがあって、わたしが居なくても給料が出せる仕事をしていたのがなによりありがたいと思いました。 本当にわたしはラッキーです。 お医者さんにも言われました。 こんなに良くなるとは誰も思わなかったって。 幸運を自覚しなさいと。 シチュエーション的には思い切り不幸な去年の誕生日は、病院のベッドの上で。 でも、生き返ったわたしは今まででいちばん幸せと思える誕生日でした。 だから、シチュエーションで