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2024・新年のあいさつ

2024年が明けました。 毎年、あっという間の1年ですが・・・ 今年は1日から月曜日で、年末年始という感覚が少なかったように感じます。 加えて1日から大地震・・・被災された方には心からお見舞い申し上げます。 たまたま友人が金沢に帰省中だったり、当地・伊豆でも何度か群発地震を経験しているので・・・ 他人事とは思えません。 去年1年、ご来店下さった方々、お問い合わせ下さったみなさま、 ありがとうございました。 今のところ、北のクラウドファンディングを含めて、いただいたお仕事は順調に出来高になりつつあります。 なにしろ、後遺症と材料の新規製造が無いこと、スタッフの高齢化などで・・・ 材料をかたちにする、イメージの構築から材料の調達、具体的な予定までが落とし込めないので・・・ 全て出来高です。 それでも、ご来店くださった方々には、まるで待っていたように行先が決まる彼ら(作品ないしは商品)を見ていると、 ひととひと、ではなくて、例えばひとと犬や猫のような生きもの、あるいはひとと、わたしが大好きな植物であっても、 巡り合うのは何かの縁なのだろうな、と思います。 そして、年が明けてからの数日で考えたのは・・・ 世の中のベクトルが、コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスに偏っているのでは?という疑問。 コストパフォーマンスはもちろん、収益を上げるためには必要な要因なのでしょうけれど・・・ タイムパフォーマンスが必要なのは、効率化によって余白を作り、余裕(余白)を作ることによって 万が一のときに対応できるよう備えることではないかと思うのですが・・・ 蟻の世界のように、効率化を進めて、余白(働かない働きアリ)を作ることによる、万が一の(例えば巣が破壊される、といった何かの緊急事態に対応する、という危機管理 ・・・ではなく、 現代社会のタイムパフォーマンスは、その余白にまた「何か」を入れるための、タイパのためのタイパになっているのでは? つまり、タイムパフォーマンスを進めると、例えばそこにバカンスを入れたとしても、日本の場合は余計に忙しくなるという・・・ それが大事故や大災害の対応にも関係しているのでないかと感じます。 どんどん余裕が無くなっちゃう・・・ 航空機事故後の、スタッフの方々の対応はまさに奇跡と言えるような出来事でしたが、当たり前と思える未来は じつは当たり前ではなく、日々