生きている意味
たぶん、わたしは単に運がいいんだと思います。 だって、まだ生きてるし、今までにやりたいことが見付かってずっとやってきたんだから。 人生、ほんの少し前まで50年だったし。 それは優に超えてる。 震災にも戦災にも合ってないし。 で、最近思うのだけど、元の生活を取り戻すためには、相当の覚悟というか意志が必要なんだと思う。どうも「体幹機能障害」というのは治らないらしい。 前例が無いってのを、わたしが前例になってやろうじゃないの、ってぐらいの意志がないと、アスリートや宇宙飛行士にはなれないのだろうと思う。 もちろん、運や偶然ってのもあるだろうけど、やっぱり具体的なビジョンだよね、というか意志かも。 生命はそもそも、他者の役に立つってことが生きてる意味だから、自分の為だけだったら頑張れないんだね。 そう考えると「母の物忘れ」とのバトルで自己嫌悪に陥ることが多かったんだけど、それも今の生活の為になってる気がする。 だって、何でもしてくれる、健常者の同居人がいたら、わたしは寝たきりになってたと思う。 ずっと考えてた、自分が帰ってきた意味みたいなものが、少し見えてきた。 もちろん、生きることに意味なんてない、そんなのナンセンスっていう意見もあるし、それを否定するつもりもないけど。 でもね、今までずっと、やまねの仕事の原点にもなってた自分に出来ること、や、やって来たことの延長線上にそれがある気がする。時々、現実、つまり脳が壊れたおばさんの自分が見えて愕然とするけど。 頑張れないし、頑張る必要もなく。 なんとなく、何かに導かれて日々を過ごすうち、寿命が終わっちゃうんだろうね。 人間だって、生物だから。 寿命の長さの違いなんて100年もないし、地球の歴史上、点にもならない。 そもそも、長いほうが良いとは限らないし。 と最近は思います。 生きられるだけ、諦めないで生きる。 なぜってそれがおとなのつとめだから。 子どもが居ようと居まいと。 寒の戻りがあるらしいけど、もう春です。