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悲しいイトトンボ

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この夏、あまりの暑さに、以前冬越し3年目で失敗した熱帯スイレンを衝動買いしてしまいました。 熱帯スイレンは普通のスイレンと違って花茎が水上に持ち上がり、薄紫の花色があったり、香りがあったり。ムカゴで増える種類もあって、根っこさえ凍らなければ暖冬の昨今案外戸外でも越冬出来るスグレモノなのでした。 ちょっと高価なのですが、たまたまホームセンターで安価なものがあったので。 けれど、その後3つくらい開花したものの、同居のメダカのために入れたホテイアオイのせいかじり貧のこの頃・・・とうとう数本の葉を残すのみとなり、ある日メダカに餌をやっていると、その茎に1㎝くらいの小さな生き物を発見。形はどう見てもヤゴです。あまり小さいのでカゲロウかトビケラの幼虫のようにも見えるけれど、目の付き方がトンボだしたぶんイトトンボだね・・・来年には羽化するのかな。と考えたものです。 ところが、それから数日後の昨日昼前。メダカに餌をやってホテイアオイの葉を分けたところ、水面に小さな虫が落ちています。 よく見たら羽化したてのイトトンボでした。もう秋だというのに、しかもすでに昼前後、雨が降りそうな空の中、なんだかあわてて出てきたような小さなイトトンボは、たぶん熱帯スイレンの鉢に入ってどこかから旅をしてきたのでしょう。 この辺りにも以前はいろいろな色のイトトンボがたくさんいたのですが、近頃は原っぱもなく、水たまりもなく、年に数匹見るか見ないか。 ここ数年、特に今年は1匹も見かけていません。だから、こんなへんてこな「いきなり秋」にたった1匹羽化しても、仕方ないと思うのだけれどこの気候でトンボなりに焦ったのか・・・結局水面に落っこちたので羽が濡れてしまい、引き上げたものの羽はきれいに伸びずもしかしたら羽ばたくことは出来ないかもしれない。 そんな悲しいイトトンボ・・・ かつて、草原をかき分けて歩くと無数に飛び立った彼らの姿が目に浮かんで、さらに悲しいイトトンボ。せめてきちんと羽化して飛んで行ってくれたら良かったのだけれど、羽化の失敗に加担してしまったようで自責の念。 たった1㎝の小さな虫なのに、水中にいるときからきっと何かのご縁があったんでしょうね。そんなわけで、悲しいイトトンボからのメッセージです。 熱帯スイレンの鉢・メダカ 羽化翌日のイトトンボ 羽化翌日のイトトンボ ヒガンバナ、今年は開花が遅れ、 大あわて

いろんな虫

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暑すぎて長すぎた夏が、いきなりすとんと秋の最中に落っこちたような、今年の9月です。もうお彼岸も過ぎて、夜は肌寒いのに、昼間はミンミンゼミとアブラゼミ、夕方にはヒグラシも鳴いていました。セミたちも完全に訳がわからなくなっているようです。 春の遅雪の影響や夏の干ばつ、大気汚染やゲリラ豪雨で植物も調子を崩し、山の実りが極端に悪い今年、熊やイノシシ、サルや鹿など、野生動物の人里進出がさらに進みそうな今年の秋。 楢枯れでドングリも減り、近い将来ツキノワグマは日本に住めなくなるような気がして心配です。韓国ではすでに野生のものは絶滅したと聞きますし、日本でも今年は秋になる前から頻繁に目撃されています。気候の異変はどこまで続くやら・・・とはいえ、今年の夏もいろんな虫がやってきました。 ノコギリクワガタ? 昼間、銀行の前で歩道をすたこら歩いていた・・・ 車に轢かれたらぺっちゃんこなので、にぎったまま買いものに付き合わせて連れ帰り、バナナをごちそうしてから庭に放しました。 今年の タマムシ ・・・目が大きいのは♂らしい ベランダにころがっていたのを母が保護 緑の甲冑に身を包み、何と戦うのでしょうか・・・何とかライダーみたいなアップ。 上から見ると虹色の部分が・・・どうしてこんな色になったのかな?明らかに南方系?和風じゃないよね。 これはなんでしょう?脱ぎ捨てたストッキングみたいですが・・・ カマキリ の抜け殻です。 気持ち悪い・・・ごめんなさい これは ハマオモトヨトウ というハマユウという植物につくヨトウガの仲間の幼虫です。派手な姿の通り南方出身です ご多分に漏れず北上中で、今年初めて対面しました うれしくないけど... 今年最初で最後?の アカスジキンカメムシ ・・・去年はいっぱいいたのに ところが?最初黄緑に赤の模様だったのが時間経過で黒地の赤へ~ありゃりゃ・・・生きてるうちから黒赤もいるし、死んでも緑赤のもいる?伝統工芸の沈金や蒔絵のような虫です。 前回のオオキンカメムシはアカスジキンカメムシの間違いです。オオキンカメムシも生きてるのを初めて一匹見ましたが。

感謝

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ぬいぐるみを作り続けてかれこれ二十数年が経ちました。 仕事を始めるとき、ちょっとしたご縁で当時デザイン関係のお仕事をされていた方に相談にのっていただいたことがありました。わたしの世代は企業で働くにしても、自分で起業するにしても、女性であることに特に不自由は感じませんでしたが、少し前の先輩たちはそれ以前の日本の社会の中で様々な苦労をされた世代です。そして、そういう人たちがその後に続くわたしたちに、物理的にも精神的にも惜しみないサポートをしてくださったおかげで、例えばわたしも今があるというふうに感じます。 そんなサポートや、こんなことしたい!というわたしの願望を人から人へつないでくださったり、ぬいぐるみたちを紹介してくださったり・・・という友人や仲間たち。そして実際にぬいぐるみたちをご購入くださって大事にしてくださるお客さんたち。そんなみんなのおかげで今のやまね工房はあるのです。近ごろの経済状況や日本でのもの作りを考えるとき、やまね工房が今もある、というのは冗談ではなく奇蹟に近いとわたしは思います。 ほとんどの日常は毎日手を動かして何かを作ったり、植物や生きものの世話をしたり、たまにはどこかへ遊びに行ったり、という同じことの繰り返しです。作ったぬいぐるみたちは、わたしのところから出てゆけば、それぞれいろいろな運命を歩くのでしょうが、それをわたしが知ることはそんなに多くはありません。そして、前述のように、ものを作る仕事は日々どんどんやりにくくなって、時には続けるのがつらくなることもあります。 今から2~3年前のある日、そんな気分でいたころのことです。いつもは見ない「24時間テレビ」をぼんやり見ながら、何かしていたとき、画面の後ろに何だか見たことのあるものが映っています。それは笑顔の女の子に抱かれる「きつねの赤ちゃん」でした。その女の子は14才を前にして病気で亡くなった岡田美穂さんです。彼女は闘病中にたくさんの絵手紙を描き、それにお母さんが文章を添え「みぽりんのえくぼ」と題して出版されたのでした。美穂ちゃんときつねの赤ちゃんの出会いは家族で出かけた北海道旅行とのこと。そして、あとから網走のスタッフに聞いたところ、その旅行で網走の店を目指してくださり、その後きつねは手術室まで闘病に寄り添い、一緒に天国に旅だったとのこと。その翌年、お母さんが再度店を訪ねてくださって御本をいただ