日常の中の災害
普通の金曜日、夕食のあと、居間でテレビを見ているときに・・・ 普通の人が同じ時間軸で予定通りの経過を疑わないその時。 突然今までの日常が失われる。 雨や雪、洪水や干ばつ、台風、土砂崩れなどはある程度予想出来るけれど、もちろん噴火や地震も前兆が少しはあるのかもしれないけれど。それは誰かが教えてくれる、という筋のものではなく。 自分の感性、自分の記憶や本能といわれるもの、で感じることで難をのがれることもあるかもしれないけれど。 それは、いつ、誰の身に降りかかるかわからない災難。 そういう意味では事故やわたしの「くも膜下出血」も同じかもしれないけれど。それで命ばかりか生活環境まで失う可能性があるわけで。 そういう意味では絶対大丈夫、ということは言えないわけで。 そういうことがあるかもしれない、という前提を常に持ち続ける必要があるのだな、と思う。 このところの20年くらいで、各地に起きた震災、原発事故・・・ 大雨による土砂災害や洪水なども、最近は多い。 たぶん、その前の50年くらいが、静か過ぎたのだろう。 それで、人々はすっかり、予定は未定だということを忘れてしまっている、ような気がします。 しかし、現実はその時代は終わってしまったことを示しているのではないか? いいかげんそろそろ、地球も人間も生きもので、それは人間の一生よりもずっと長いスパンで変化している、ということを認識する必要があると思います。 それはたぶん、われわれ「現代人」と思っている人々が、いわゆる「野生」の「遅れている」あるいは「必要ない」と考えている他の先達(いわゆるネイティブの狩猟採集原住民、植物、昆虫、とりわけ微生物、など)は普通に備えているであろう「何か」で。 だから、この調子で自然災害や宇宙の脅威・・・隕石やそのほか我々が知り得ないものもあるかもしれない・・・が起こればそこで人類は淘汰されちゃうかも。 しかし、生きている限りは、循環に積極的に参加して、後ろめたくないやり方で生命体としての地球の健康に力を尽くしたいな、と考える訳であります。 それにしても、世界のどこでこのような災害があっても、人類は助け合ってそれを乗り越える力を持っているのだから、紛争や縄張り争いをしている場合ではなく、みんなで地球の健康...