コロナウィルスの正体
地球規模のウィルス禍、なかなか終息には至りませんね。
テレビ放送でも、やたら「ウィルス」との戦争、と表現されることが多いのですが、この「戦い」という表現には個人的に強い違和感があります。
食うための生存競争でない、いわゆる戦争は人類だけのものであり、打って打ち返すという行為はキリが無い、すなわちエンドレスなものです。
テレビ番組はそれ一色で、あとはバラエティーくらい。
ロケもスタジオ収録も困難になって、過去の特番や追悼番組がひっぱりだされたり・・・
過去の同様パンデミック、「スペイン風邪」についてもおぼろには知っていましたが、今回、改めてそれについての過去の番組、また同じく数年前にあったコロナウィルス「SARS」、エボラ出血熱についても、じっくり振り返る結果になりました。
思うに、ウィルスという存在は自ら攻撃してくる、という種類の「生きもの」ではないというのが確かなところで。
細胞、というか、そのひとつひとつに膜はあるものの、自らエネルギーを取り込んで増殖する、あるいは出て行ってばらまく、というような積極行動や移動は出来ないらしい。
何かの生物に取り付いて、その臓器で増殖し、その宿主が拡散もしているようです。
言い換えれば宿主が居なければ増殖も拡散も出来ないことになります。
昨今の「新種」ウィルスは、たぶん人類の歴史よりも長い期間、そのように生きてきたのでしょう。
今までは人類との接触が無かっただけで、最近になって発生した訳ではたぶん無く。
いつの頃からか、もしかしたら太古の時代から、地球上の他の生物と共生してきたのだろうと思われます。
自然の中で、一種類の生きものだけが爆発的に増えた場合、食べものが無くなったり病気が発生して全滅したりします。
生きものの多様性に合わせて変化し、憑りついて爆発的に増えないように采配する。
そのようにして多様性と生存環境が長期間維持されているように感じます。
つまり、ウィルスは「神」(宗教上の、ではなく、どちらかと言えば太陽とか月のような)
というか、コントローラーであって、「敵」ではないのです。
一方、人類は生存するためのぎりぎり必要な殺戮以外に、自らの欲望のため地球上のすべての物質を好きなように壊したり形を変えたりしてきました。
推進力だけで「ブレーキ」抑止力を持っていないように思えます。
そして、コントローラーである「ウィルス」が急ブレーキをかけた・・・数日前の早朝、
そんな思いが突然・・・ひらめきました。
たぶん、地球が生命体として復元できるぎりぎりのタイミングなのだろうと思います。
思えば、今から50年くらい前からこの経済至上主義は間違っていると感じていましたが。
全体の流れに逆らって生きるのは難しくて。
そもそも、「やまね工房」は一個人が継続して出来る、ささやかな抵抗であり、その継続のために「網走で孫請けを開業した」のでしたが。
「ウィルス」が攻撃してくるのではなくて、運んでいるのは「人間」だということ。
原因は太陽と月のサイクルに合わせない、急激で過剰な物理的移動とグローバル化ではないか。
今風に言えばオーバーツーリズムとオーバーユース、世界的な分業による中間搾取、によって経済が成り立っている、ということです。
その人類も個人に至ってオーバーワークな昨今、人類も生物だってこと忘れちゃってる? ・・・と思うほど・・・
もちろん、ネットの普及によるプラス面もたくさんあるし、もしかしたらこの急ブレーキが、人類も循環に参加できるチャンスになるかもしれません。
そして、それは人類にとって最後のチャンスかも。
そのようなときに「生きている」ということが不思議。
「クモ膜下出血」後の世界がある、ということもですが、ずっと探していた人類の未来について、突然現れたような「今」が不思議。
突然に見えて、しかしそれはたぶん必然。
生きてて良かった。
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