久々の原稿
絶好調の5月半ばから、一転して絶不調の5月後半・・・
そして、どうしたらよいのかわからないまま6月はじめに病院へ行き、そのまま6日ほど入院しました。
絶好調にまかせて動き過ぎ、宇宙飛行士を目指して階段の踏み台昇降を繰り返し・・・スマートフォンのアプリで万歩計を手に入れたせいで、数字に振り回された、ともいえるかも。
7月のはじめに友人たちと網走行きを計画していて、母も、おそらく最期の網走になるだろうから、一緒にと。みんなの好意がうれしくて。
二週間くらい、3000~5000-歩、一番多い日は5800。
ほんとに絶好調だったのに。
で、5月の終わりに、美大の講師を卒業して(これについては別に書きます)、そのとき頂いた花束の中に入っていたミントゼラニュームを、ベッドわきの縁側で挿し木にしたのですが・・・ほぼ活着していたそれが枯れてしまうほどの砂漠の風が吹いたのでした。
思えばその時、汗をかくくらいに運動しなくちゃと思っていて、十分に水分を摂っていなかったのですね。
病院で検査を待つ間、車イスに座っていることも苦痛で、ベッドに横になっていても、どういう姿勢なら楽なのかわからない・・・
頭が重たくて(痛いとかではなくて、物理的に重い)、体中が痛み、食欲は全く無くて、目や口が渇き、目を開けていることも辛い・・・
点滴をしている間は少し楽になるが、終わるとたちまち元の状態に。
で、退院の許可が下りても家に帰る自信がなかなか帰ってこなかったのですが・・・
というか入院の必要がそもそも無いと言われたのですが、食事の支度など、家事が出来る自信もなくて、母は急きょデイサービスでお世話になっている介護施設へ「ショートステイ」するはめに。
それからかれこれひと月半、最初は前回の退院時よりひどい状態で、ああ、すごろくで言えば振出には戻らないものの、リハビリ病棟に移ったころに戻ってしまった、の感がありました。
何より、一度改善を体験した後だったので、最初のときの希望が砕けてしまい、精神的に落ち込んで絶望感に支配された感じでした。
「腑抜け」ということばがぴったりくる感じ。
そうすると、今まで身の回りに起きていると感じていたミラクルも、さっぱりやって来ず。
でもきっと、それは気持ちの問題だって、考えられる程度には回復しました。
そして、この出来事がじつは「熱中症」であったと考え至るところに来ました。
これもテレビ番組で「ためしてガッテン」を見たことに由来します。
水分は筋肉に蓄えられる、と。
だから、一見して筋肉の無い「著名羸痩」の人はなりやすいんだって。ってわたしじゃん!
てなことで、あれはたぶん熱中症だったのでした。
普通の人ならば、きっと点滴で回復するのでしょうが、わたしは退院してからも体内の水分がうまく循環せず、更年期障害もあるのかな、と思って、「当帰芍薬散」と葛根湯を試してみることに。
当帰芍薬散は家庭用置き薬屋さん・・・富山の薬・・・でも取り寄せしないと手に入りませんでしたが、お願いして持ってきてもらい、何度か煎じて飲みました。
普通の人は湿度が高いと体調を崩し、わたしは乾燥がNG。
むしろ、台風が出来た時や、雨が来たときは体調が一時的に悪くなりますが、通り過ぎると前より少し楽になるような気がします。
なので、わたしは台風で調律出来るように思います。
わたしは人間というよりまだ、カエル体質なのかもしれません・・・
だって、すべての生命は、初めは一つの細胞で、最初の進化は水中だったから。
生命体の体は陸上においても海水と同じ濃度の水が半分以上らしいし。
まだ陸上、というより砂漠では生きてゆけませんね。
それにしても、植物はすごいですね。
砂漠から海中まで、あらゆる場所で、太陽の光だけでエネルギーや酸素を作って
いるのですから。
もともとそう思ってはいたのですが、このごろますます植物を尊敬しています。
はじめまして。
返信削除20年ほど前に、東京の上野動物園でやまね工房さんのエゾモモンガのぬいぐるみを見つけ、以来ずっと一緒に過ごしている者です。
落合さんのブログを今日初めて見つけたのですが、体調を崩されているとのことで、何かコメントせずにはいられず書き込んだ次第です。
やまね工房さんのぬいぐるみは、本物そっくりなリアリティーとあたたかみがあって、大好きです。
田舎から一緒に上京したエゾモモンガのぬいぐるみは、今ではあちこち擦り切れて別人のようですが、それでも一番の友達です。
大好きなぬいぐるみを作ってくださった落合さんには、いつまでもお元気で、素敵なぬいぐるみを作っていっていただきたいです。
暑い日が続きますが、お身体に気を付けて過ごされてくださいね。
匿名さんへ
返信削除毎度、ありがとうございます。
本当に、やまね工房を始めていつのまにか30年、いろいろなことがありました。
でも、今回、想定外の臨死体験をして、初めてわかったことがたくさんあります。
製作してきたぬいぐるみたちが、今どうしているか、とか。
芸能界の「あの人は今?」みたいに。
思うに日本の経済は、というか社会は、人気があって一時のブームで終わってしまうものに流されてきたのかもしれません。
やまね工房の商品は、その流れに乗れなかっただけかもしれない。
手作り国産にこだわって、量産しないできたから。
でも、それをわかってくれる製造スタッフに出会えたことや、出来上がったものたちから買ってくださる方に、それは確かに伝わると、今は確信しています。
それは一点ものの展示作品にも言えるけれど、正直、商品はもう少し希薄だと思っていました。
けれど、自分が突然の臨死体験のとき、その商品である「やまね」に呼び戻されてみて、はじめて「商品」として作り続けてきたものの真価がわかった気がします。
そして、これを仕事にしてきたことに、「幸せ」と「感謝」を感じます。
たぶん、この臨死体験がなければ、当たり前のことだったのでしょうが・・・
みなさんや「やまねたち」にたいして、わたしが出来ることは、一日でも長く、商品を作り続けることだと、改めて思います。
ありがとう!