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ショップ お休みのお知らせ

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いつも、やまね工房のぬいぐるみを可愛がっていただきありがとうございます。 10月6日(火)〜8日(木) まで 網走店をお休みします。 インターネットショップは休まず営業致します。 以上 網走店からのお知らせでした!

時事ネタをひとつ

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最近、50年に一度の災害は毎月、あるいは毎週のように起きるし、安保法案を巡って国会が大変なことになるなど、大きなニュースのオンパレードですね。 その中でオリンピックのエンブレム問題、デザインとデザイナー、作家とアート、このあたりの解釈に大きな齟齬、というか共通認識がそもそもあるのか?という疑問がむくむく湧いてきました。 やまね工房も個人で立ち上げて今年は31年目となり、その間にはコピーされたり・・・ そもそも最初の「やまね」を作った時はほかの人たちの意見を聞いたり、形にする手伝いをしてもらったり、で、もともとのモデルは神さまが創造された自然の産物でもあるわけで。 クレーンゲームの○○ーにコピーされたときは、証拠をでっち上げてくれたけれど、大きな会社には法務部というのがあって、訴訟とかに備える術があるらしい。 で、そもオリジナルとは何か? デザインとは何ぞや? 意匠を商業的に用いるとき、それによって金銭的な価値を生むものを「デザイン」と言い、権利が生ずるとわたしは解釈しています。 その意匠とは、デザインをする人がいったん自分の脳に取り込んで、その人が習得した技術によって表現したもの。それをオリジナルと呼ぶ。 アナログの表現であった時、その表現は手足や体の部分を使って表現していたから、その表現は人の心を動かす力を持っていたのではないでしょうか。 つまり、感性で感じる「美しいもの」を共感出来る形に表現する技術を習得するためにはもちろん才能も必要だけれど、それなりの時間や手間がかかる。 そして、それを表現するためにも、それなりの時間や手間がかかる。 むしろ、そのかかった時間そのものが、人のこころを動かすのかもしれない。 だから、ネットの世界で探すという労力とかけた時間がそれをする、といういう向きもあるかもしれません。 けれど、それに才能が要るだろうか? 若冲という江戸時代の日本画家がいます。わたしは彼の作品が昔から大好きなのですが、彼の作品からは意匠というか、商業デザインの祖という感じがします。 彼はデザインの他に作家としての作品もたくさん残していて、たくさんのスケッチや鶏たちとの日常的なスキンシップと言えるような関係がかの作品をうんだとわたしは思います。 あくなき表現への深淵な努力、膨大な素描の先に...

タイムトラベル

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最近、ずっと疎遠だった親戚の中に、同じ遺伝子を発見しました。 若くして亡くなった「いとこ」が、ミステリー小説を書いたり、作曲や演奏をしたものとネット上で出会ったのです。 4つ下の、彼の存在はそんなに近いものではなく、そういうことをしていた、というのは知っていたのですが、具体的には全く知りませんでした。 彼の兄弟と、正直、大人になってから始めてメールのやり取りをして、その「作品」と出会ったのです。 今度の臨死体験以来、別の人の著作の中で故人である先輩と再会したり、園芸作業の助っ人をやはり故人である「園芸の師匠」ゆかりの人が偶然手伝って下さったり・・・ 記憶や人と人のつながりの中で、人は亡くなっても生きているんだな、と感じたものですが。 以前にも書いた気がしますけれど、現代美術の作家である友人と、植物をテーマにした作品について話していたときに、南半球の作家さんとの会話で地球の反対側でも、同じ時代を共有しているということで、同じメッセージを受けた気がする、というような内容があって、同じ時代に生きて同じ映像を見たり、感じた空気感を表現することには何か共通点がある気がします。たぶん、言葉によらない感覚を、言葉ではなく感性で感じることが出来るもので表現するからでしょうね。 こういう感じを得たとき、国や種族を越えた理解や共有があり得ると信じられます。 言葉にしてしまうと、謀や虚偽が混ざってもわかりにくい。 だから、感性は大切だと思うのです。 自然に対して謙虚に学ぶ姿勢があれば、その禍を避ける術を教えてくれるかもしれません。 また脱線しちゃったけど・・・ これは40年以上前に「製本」したわたしの作品です。「星新一」にかなり影響を受けています。でも、パクリじゃないですよ。オリジナルです。 ダウンロードする(全9ページ) だいぶシミが出来たり、痛んでいますけれど。

行きつ戻りつ・・・

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ある日突然、脳が壊れるというのは、本当に理解しがたいことです。 現実が脳の中身と文字通り解離してしまっていて、すり合わせることが困難。 もちろん、体の部品のどこかに不具合があっても、生活は変わってしまうし、普遍であると思っていたことはすべて幻想であって、現実は日々刻々変化するものなんですね。 考えれば当たり前のことなんだけど。 そして、可能性としては死んでたかもしれないし、寝たきりになったかもしれないのが、毎日目覚めて呼吸して、目も見えるし会話も出来るし、ご飯も食べられるしトイレにも自分で行ける。 だから、日々感謝、これ幸運とみなさんのおかげさまで。 なんだけど、やっぱりいろいろ凹む訳です。 以前のようには何も出来ないから。 そんな中、ふと思いついたのが、絵を描くこと。 前にも書きましたが、血管が裂けて手術を受け、半年の入院中最初に出来たのが絵を描くことでした。 体の両側に麻痺があり、口から食事が出来なくて、車イスに座っていることもままならないころから、ベッドで紙と鉛筆を持ち始めました。そして、文字は書けないのになぜか絵は描けたのです。 体幹機能障害はどうやら元に戻らないらしい、と感じはじめた頃、主治医の院長が言ってくれた一言に励まされた・・・「あんたの才能がなくなっちゃったわけじゃないから」と。 院長も声楽の才能をお持ちで、年に何度か病院でコンサートを開き、ご自身もそれを披露されている方なので、言葉が身に沁みました。 身体機能は一部失われても、感性はかえって鋭くなったと自覚しています。 もちろん、入院や数々のダメージで衰えた筋力や免疫力は鍛え直す必要があって、それには年単位の時間がかかるけれど、力仕事を最初からする必要はなし。 で、入院中に描いた絵から・・・ そろそろスケッチを始めようかな、と思うこの頃。 添付のスキャン画像は・・・ 新聞に載っていた「あなぐま」の記事と、それを描いたスケッチ 友人が送ってくれた、手描きによる樹木の図鑑を参考に、木の葉と木の実を描 いたもの・・・これをアレンジして小さなカードにし、お世話になった人たちに もらってもらった(何かお礼をしたくて、金品でないものということで。先方に は迷惑だったかもだけど) 退院してから、スケッチの手ほ...

夏休み

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暑中お見舞い申し上げます! 厳しい暑さが続いておりますがいかがお過ごしですか? 熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。 さて夏休みには皆さんいろいろなところにお出かけでしょうか? やまね工房のぬいぐるみたちもいろいろなところで皆さんをお待ちしていると思います。 網走店にもたくさんのご家族連れの方たちに来て頂いています。 そして、昨日網走店に来店していただいたご家族の方たちなのですが、小学生(2年生ぐらいかな)の男の子がこんな言葉を残していってくれました。 ももんがのぬいぐるみを持っていたのですが いつも持っているらしく毛が丸まって毛玉のようになっていたので 「ブラシをかけてきれいにしてあげようか?」と声をかけましたらその子は「野生のままがいいから、いいの!」と即答しました。 野生のまま?・・・その子にとってそのももんがは生き物なんでしょうね。新たにえぞりすを買っていかれたのですがそのえぞりすも野生になるのはそう遠くなさそうです。 とても心和むひとときでした。(網走店より)

やまね工房のこれから

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5月の連休明けで女子美大の講師は自主的に卒業させてもらうことにしました。 7/27 朝日 首にならなかったのは有り難かったし、製作が難しい後遺症が残ってしまった現実を前に、講師の仕事は「出来ること」だと思っていたのですが・・・だんだん時間が経過して、脳が現実を理解できるようになっきたらしく、助っ人の必要性や通勤のリスク、長時間の通勤などに現実性が無いと気付きました。 本当はもっと早く決断するべきだったのかもしれませんが、この、突然の事故みたいな「病・・・くも膜下出血」が原因なので、仕方ありません。 通勤というリスクなしで、現実的に、「出来ること」を探さねばなりません。 それは、もちろん、生活の糧を生み出すような仕事。と、もうひとつ。 わたしがやまね工房を作ったときに考えたこと。 生命として地球に生まれたものとして、その存続のために、役に立ちたい。 この現代社会で「生きる」ということには、多くの矛盾があります。 多くの野生の生きものは、生命体としての地球の循環に、参加する、というよりはその一部となって生きていますが、現代の人類はたぶん、唯一それに参加していないからです。 感受性が強い人はさらに、生きていること自体が、地球の存続を妨害しているように感じてしまう、という矛盾。 現代の科学技術を持ってすれば、循環を促進して、それに参加することも可能なはずなのに、なぜそうできないのだろう? 2011年の東日本大震災のあと、もしかしたらそのような社会に転換出来るかもしれない・・・と思ったのですが、現実はそんなに甘くなくて。 でも、小さな日常の中で、確かに考え方を転換した人たちもいると感じるこの頃。 この肉体では出来ることはそんなにないけど。 「やまね工房」は、小さなぬいぐるみ屋だけれど、物作りだけではなくてこれはわたしの「生き方」みたいなもので、展示やブログでの「表現」が全部セットなのです。 工房窓枠のヘブンリーブルー 「やまね工房」を始めたときは、こんなふうな仕事の仕方は、なかなか理解してもらえませんでした。メーカーになりたいのか、デザイナーになりたいのか、作家になりたいのか? どれかひとつではなく、全部=わたし自身みたいな。結局欲張り? ある意味、会社を私物化しているようかもしれないけど。...

ツシマヤマネコ

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久しぶりに作品の原稿です。 2014年 年末、しばらく前に納品した、「ツシマヤマネコ体重入り」が、修理の依頼、ということで工房に帰ってきました。 教材として製作したもので、対馬で保護された野生個体を資料として製作した、リアルなものです。対馬の野生生物保護センターと、繁殖例のある井の頭動物園に納品しています。 このうち、対馬のセンターから帰ってきたそれは、野生ネコの体重で体表の化繊生地はつぶれ、あちこちほつれてぼろぼろです。 教材という性質上、あまり状態の悪いものは適さない(変色したりはげたりした剥製標本もそうだと思います)という判断で、修理することはお断りさせていただきました。 で、その代わり、最近の例として、小笠原のアホウドリ雛で試した、リアルで重くないぬいぐるみのいわばレプリカと、体重を体感するための重り入りそれ風バッグの組み合わせが出来ないかな~、と考えました。 で、2階のデッドストックの中に、前回試作で作成した、ツシマヤマネコ頭部と子猫のパペット作りかけ、を発見しました。 最近は生産の現場が国内になくなってしまったので、良質の材料が手に入らず、製作そのものがどんどん難しくなっています。 その上、なかなか改善しない自分の体のこと、在庫の中から使えそうな材料を引っ張り出して、新しい型を作り、以前のように彩色で仕上げることも難しい。このデッドストックを何とか生かせないかな~、と考えました。 で、途中、猫好きな比較的近所在住の「助っ人」の力も借りながら、何とか製作して。 「春ごろ」の予定が初夏にずれ込みましたが、何とか納品にこぎつけました。 小学校で、実際に教材として使われいる画像もいただき、掲載の許可をいただいたのでご紹介させていただきます。