友人の作品① 松尾昭典さんの魚
このところ、なんだか集中力がなくて。
いつもだけど・・・
本は気になって買ってもなかなか読めないで積ん読。
で、粘土いじりも紙粘土からはじめようと濡らして柔らかくしたまま放置・・・
自分のはさておいて、作家仲間・・・と言ってよいのかどうか、ですけれど。
わたしのは「なんちゃって作家」ですが、陶芸と言えば立派な芸術ですから。
一緒にグループ展をやったこともある、「工房茶碗屋」の松尾昭典さんの魚たち。
網走で展示してもらったこともありました。
食器がメインの茶碗屋さんですが、花器やタジン鍋、など様々なものを作られています。
余談ですが、九州のご出身で烏骨鶏を飼われていて、以前そのお料理をふるまってくださったことがありました。グループ展の打ち合わせの折。
その烏骨鶏、我が家も雛をいただいて、貴重な卵を産んでもらいました。
網走で展示してもらったこともありました。
イトウの頭が灯りになったり、フグやカワハギ、なまずとか。
ゴールデンウィークに設定したのに雪が降っちゃって・・・
ご迷惑かけました。
仲介してくれた友人が見舞いにくれたカサゴは秀逸で。
じつはわたしより少し前に大病をされて後の作品とのことなのですが、その友人が見せてくれた展示の目録の中の「荒巻」はトリハダものでした。
わたしより先に大病を患われたのに、その後復活されて。
魚ばかりでなく、鳥や哺乳類の作品も・・・
退院後、どんぶりやお皿の作品も送ってくださったのですが、以前の作品よりも軽くなって、麻痺の残るわたしにはとてもうれしい頂き物でした。
こんなことを言っては申し訳ないけど。
作品を見るにつけ、大病もマイナスばかりではない、と実感して心強かったです。
ものを作ることを仕事、と言うよりライフワークにしていたわたしは、当初表現ができなくなってしまう恐怖がけっこうありました。
身の回りに大好きな自分のやほかの人の作品を置くことも、本人不在の折には処分にお金がかかるやっかいなもの、になってしまうとしみじみ思ったものです。
もともと、土に還らない化繊の造作物をたくさん作ることに罪悪感を持っていたこともあって、家業のやまね工房にも少しだけ矛盾を感じていたので。
でもね、この3年の間に考えが少し変わりました。
死に損なったときに、スタッフが持って来てくれた「やまね」に呼ばれたり、写真コンテストでたくさんの「商品」たちが家族の素敵な思い出を作っているのを目の当たりにしたり。
そのほかにも、たくさん不思議なことがあって、わたしはやまね工房を続けるこ
とが出来ています。ありがたいことに。
いつもだけど・・・
本は気になって買ってもなかなか読めないで積ん読。
で、粘土いじりも紙粘土からはじめようと濡らして柔らかくしたまま放置・・・
自分のはさておいて、作家仲間・・・と言ってよいのかどうか、ですけれど。
わたしのは「なんちゃって作家」ですが、陶芸と言えば立派な芸術ですから。
一緒にグループ展をやったこともある、「工房茶碗屋」の松尾昭典さんの魚たち。
網走で展示してもらったこともありました。
食器がメインの茶碗屋さんですが、花器やタジン鍋、など様々なものを作られています。
余談ですが、九州のご出身で烏骨鶏を飼われていて、以前そのお料理をふるまってくださったことがありました。グループ展の打ち合わせの折。
その烏骨鶏、我が家も雛をいただいて、貴重な卵を産んでもらいました。
網走で展示してもらったこともありました。
イトウの頭が灯りになったり、フグやカワハギ、なまずとか。
松尾さんの作品 イトウ |
松尾さんの作品 カサゴ |
ゴールデンウィークに設定したのに雪が降っちゃって・・・
ご迷惑かけました。
仲介してくれた友人が見舞いにくれたカサゴは秀逸で。
じつはわたしより少し前に大病をされて後の作品とのことなのですが、その友人が見せてくれた展示の目録の中の「荒巻」はトリハダものでした。
わたしより先に大病を患われたのに、その後復活されて。
魚ばかりでなく、鳥や哺乳類の作品も・・・
退院後、どんぶりやお皿の作品も送ってくださったのですが、以前の作品よりも軽くなって、麻痺の残るわたしにはとてもうれしい頂き物でした。
松尾さんの作品 出目金 |
こんなことを言っては申し訳ないけど。
作品を見るにつけ、大病もマイナスばかりではない、と実感して心強かったです。
ものを作ることを仕事、と言うよりライフワークにしていたわたしは、当初表現ができなくなってしまう恐怖がけっこうありました。
身の回りに大好きな自分のやほかの人の作品を置くことも、本人不在の折には処分にお金がかかるやっかいなもの、になってしまうとしみじみ思ったものです。
もともと、土に還らない化繊の造作物をたくさん作ることに罪悪感を持っていたこともあって、家業のやまね工房にも少しだけ矛盾を感じていたので。
でもね、この3年の間に考えが少し変わりました。
死に損なったときに、スタッフが持って来てくれた「やまね」に呼ばれたり、写真コンテストでたくさんの「商品」たちが家族の素敵な思い出を作っているのを目の当たりにしたり。
そのほかにも、たくさん不思議なことがあって、わたしはやまね工房を続けるこ
とが出来ています。ありがたいことに。
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