番外編 宇宙の真理


早朝、4時から5時。
ふと目覚めてつらつらいろんなことを考える。
体はまだ寝ているけれど、脳は目覚めていて、生活のためには働いていない時間帯。
そもそも時間軸というのは、地球にとって太陽と月が織りなす循環そのものではないか?
それによって、生物にとっての安定した環境を生物みんなでタペストリーを織るがごとく作っている・・・隙間なく、決まった数のごく小さな量子が、一個から数億までの細胞の集団である「肉体」をまとって、それを互いにやりとりすることで循環させて繋いでゆくこと。

それがすなわち生きるということで、その循環において「死」は別のものの生へと転換される・・・
人類はそも、唯一循環を阻害することで自分だけ生きようとしているような気がする。それはとても癌細胞に似ている・・・
たぶん、循環することで生きている自身を忘れてしまって、、阻害することで生きようとする、という所作はまさしく癌細胞ではないか?
この考えは以前から漠然と持っていたのだが、臨死体験はそれを顕在化したと思う。人生もともと50年、その間に生物としての人は次世代を育て、様々な経験をして一生を終えるのだ。まれにそれ以後も生き続ける人がいて、そういう人は「長老」として敬われ、人々をよりよい方向へ導く。

現代は・・・
長生きした老人は疎んじられ、その智慧は封印される。
そしてこどもたちのための未来は?いままでのひとびとの負の遺産で満たされてしまったのか?
う~ん、おとなの務めはあきらめないこと。
利己とはもちろん、生きるためには他の命をいただかなくてはならない。それは利害?循環そのものが利害なのか?
利他と利己、利己のための所作は利害となり、利他のための所作は?
禅問答だね、これは。

生物がみんなでタペストリーのように環境を編むということは、それが生物みんなにとって、この宇宙で生命として生き続けるための唯一の方法だから。
宇宙には生命の存続を脅かす様々な脅威があって、その存在そのものも奇跡だけれど、それを存続させるのはとても難しいことなんだと思う。
きっと今、宇宙というか地球は病気なんだね・・・
幸福というのは物質ではなく。
では何?
幸福感とは?感性で感じる、他の生命との共感や共鳴だと思う。
それを代替しようとして、人は宗教を編み出した・・・けれどそれが利害とつながったとき、人々は目的を見失ってしまったんだな・・・

感性を磨き、足元を見るだけでよかったのに。
人類は大きな勘違いをしちゃってる。
でも、マララさんや羽生くんは、利己ではなくみんなの共感のために自らの命を投げ出す「覚悟」があるんだと思う。
これは人類にとって、ひとつの明るい未来だ。
そして、人類が生み出した「科学」の力でそれを世界中の人たちが共有出来るという事実。ここに「あきらめない」ことへの原動力がある。

仏教で言うところの曼荼羅は、きっとこのタペストリーなんだと思う。

人類、まだ捨てたもんじゃないかも。

そうそう、ふと思ったんだけど、熊に食われた写真家の星野さんも、去年の夏、ダイビング中に行方不明になったKさんも、自然に近づこうとしたばかりに現代人としては、そして残された家族には残念かもしれないけれど、ほかの生きものに分解されてその生きものに循環するという、生物としては本来の、最高の「肉体の失い方」だったと感じます。願わくはわたしもそんな失い方をしたいけれど。

現在の人間社会では、基本それは許されないので。

コメント

  1. 音霊字訳師 むすび世我2015年2月4日 20:32

    循環の循の字は「盾をかざして練り歩く」という戦に関わる字です。本来は巡環が、哲学的に正しい表記でしょう。いまも死語ではない様です。是非巡環いましょう。永遠も永円が正解です。ヨガも世我が正解で、瑜伽は音だけの意味ない当て字です。矛盾は後付創作でしょう。正解は無巡です。巡環しないことを無巡というのが哲学的に正しい。ということで、宇宙、生命は「巡環」の別名で、神は火水で、良い事も悪いことも両方具有している「中立」の「空くう あるものがない、ここにはないがべつのところにある、からっぽ」の意味と考えるとわかりやすい。すべて巡環原理で説明できます。無から有は生じません。有が有無
    をうむのです。わからないことはぜったいわかりえない。わかるということは、思い出す、気付くということです。つまり、わかっていてわすれているものを思い出すのです。命は神ですから、全てを知って居るのです。自我の狭い見識が解放されると「命の全貌」を直感できる様になります。道理ですね。ヨガの瞑想の目的です。

    返信削除
    返信
    1. おたまじゃくしさま

      コメントありがとうございました。
      その通りだと思います。

      さすが、ヨガの世界に足かけ半世紀、宇宙の真理を臨死体験抜きでわかるというのは並大抵の修行ではないですね。

      世界中が鉾・盾の虜になりかけている今、ひとりひとりの中にあるサムシング・
      グレートが目覚めてくれることを祈ります。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

写真投稿募集

2022年~2023年へ

卸販売終了のお知らせ