ネリネ、園芸の師匠・平尾秀一氏ゆかりの植物
このネリネというのはヒガンバナ科の球根植物で、わたしが大好きな小球根の一種。日本のヒガンバナに似ていますが、南アフリカ出身のため、耐寒性は低く、軒下でようやく越冬する程度。彩は南アフリカ出身だけあって、ピンク系や派手な色彩のものが多く、いくつかの原種とサルニエンシス系の交配種が園芸植物として栽培されています。
上の画像は、わたしが高校生の頃からの園芸の師匠・故平尾秀一氏氏ゆかりのネリネ改良種/数年前にやはり平尾氏の弟子(?)だった、横山園芸さんから手に入れたもの・・・濃いピンクのものは後半変色して紫を帯びるのですが、これは退色したのではなくて、花の色には珍しいくすんだ紫という本来の色。変色してからもこの色を保ち、切り花にしてもとても長持ちする。
そればかりか水分を失っても色が変わらないため、「何かに使えないか?」と、生前の平尾氏ご本人から、摘んだ花柄を色別に送ってくださったことがありましたっけ。
白っぽい方は花弁に少しフリルがあって、光が当たると花弁がキラキラ光る。
花弁の細胞の粒粒がキラキラする個体は、同じヒガンバナ科のラッパ水仙の個体にもときどき出現します。
この平尾秀一氏はとても面倒見がよく、本業は水産庁のお役人で、本業の傍らあの検疫が厳しい時代に多くの球根植物や園芸植物を日本に導入されて、それを多くの生産者やわたしたちのような若手の園芸マニアに、惜しげもなく配布してくださいました。
今では、日本も園芸大国となり、プラントハンターも存在しますが、ほんの半世紀前には検疫も厳しくて、球根などは1シーズンの試験栽培を経ないと入手できないというものでした。
もちろん、植物も昆虫も、他の動物も、本来の生態系を破壊しないように生体の輸出入(実際には輸送や採集・捕獲ののストレスで検疫以前に死んでしまう個体が多いことも問題)はある程度制限が必要であって、現在のように検疫が間に合わないほどのグローバル化は本来の生態系、地球の循環を損ないかねない、ゆゆしきことなんですが・・・ウィルスや伝染病もしかり。
で、その頃、平尾氏は海外の園芸サークルによる種子の配布や、同好の志との趣味家ソサィエティーに参加していて、水産庁の仕事の傍ら、園芸書の執筆などもたくさんしていました。ガーデンライフという月刊誌や、その出版社が手掛けるハウツーものの単行本など。高校生の頃、わたしは園芸オタクで、ガーデンライフは高いので毎月は買えなかったのですが、あるとき100号だか200号だかの記念で、執筆者の先生方による、球根や宿根草の種子配布というのがあったのです。それで、当時球根を種子から育てるなど(今でも大半の人はそうだと思いますが)、考えも及ばず・・・で、わたしは平尾秀一氏による、ラッパ水仙の種子を応募し、送ってもらいました。
たしか種子と一緒に手書きの育て方指南と、ご丁寧に質問などの問い合わせ先としてご自宅の連絡先も併記されていました。
それで、身近に師匠がいなかったわたしは、勝手に弟子入りしたのでした。(ご本人が弟子と認識されていたかは不明ですが、たしか一周忌に集まった弟子たちが「園芸ニュースレター」というのを立ち上げてしばらく続きました・・・それも時間経過で形としては分解してしまいましたが、たぶん弟子たちそれぞれ中に何かが残っていると、わたしは感じています)
それでも、お忙しい身だったはずなのに、何度かご自宅に伺ったり、園芸農家に連れて行ってもらったり、雑誌の打ち合わせに同席させていただいたり(焼肉も!)、丸ビルでビールをごちそうになったり・・・自宅にも何度か寄ってもらって、伊豆方面で水産関係の会議があるときは(当時わたしは東京の生花販売会社に勤めていたので自宅には両親しかいませんでしたが、気軽に立ち寄ってお昼を召し上がったりして楽しいお付き合いでした)帰りに寄ってくださったり。
伊東の「さくらの里」公園のヘメロカリスは平尾氏の寄贈によると聞いたのであちこちにそういう付き合いがあったのだと思います。
そのようにして、平尾氏ゆかりの植物は少しずつ我が家にもたらされていました。
そして氏が定年を迎えられて、これから園芸三昧というときに、当時会長をしていた「花菖蒲の会」の会議で京都にいらして、そこで心臓発作を起こし、そのまま鬼籍に入ってしまわれました。
それから、もう20年以上経ちます。
生花販売の会社に勤めているときに、早く足を洗って「ナーサリー」(欧米で言うところの販売まで手掛ける園芸農家、もちろん育種もする)をやりなさい、とさんざん勧められたのですが・・・結局その道には進まず・・・
でも、本業ではありませんが、2足目のわらじとして今も履いています(笑い)。
たぶん平尾氏の交配したネリネ・サルニエンシスの交配種、 もう10年くらい前に、生産農家の横山園芸さんから入手したもの。 平尾氏ゆかりの会で園の見学をさせていただいたときに。横山さんはクリスマス ローズも育種・生産されていて、原種シクラメンもいろいろ生産されている。わたしも最近、原種シクラメンと少し仲良く出来るようになってきた。やっぱり砂漠出身なので、水管理が大切。 |
上の画像は、わたしが高校生の頃からの園芸の師匠・故平尾秀一氏氏ゆかりのネリネ改良種/数年前にやはり平尾氏の弟子(?)だった、横山園芸さんから手に入れたもの・・・濃いピンクのものは後半変色して紫を帯びるのですが、これは退色したのではなくて、花の色には珍しいくすんだ紫という本来の色。変色してからもこの色を保ち、切り花にしてもとても長持ちする。
そればかりか水分を失っても色が変わらないため、「何かに使えないか?」と、生前の平尾氏ご本人から、摘んだ花柄を色別に送ってくださったことがありましたっけ。
白っぽい方は花弁に少しフリルがあって、光が当たると花弁がキラキラ光る。
花弁の細胞の粒粒がキラキラする個体は、同じヒガンバナ科のラッパ水仙の個体にもときどき出現します。
この平尾秀一氏はとても面倒見がよく、本業は水産庁のお役人で、本業の傍らあの検疫が厳しい時代に多くの球根植物や園芸植物を日本に導入されて、それを多くの生産者やわたしたちのような若手の園芸マニアに、惜しげもなく配布してくださいました。
今では、日本も園芸大国となり、プラントハンターも存在しますが、ほんの半世紀前には検疫も厳しくて、球根などは1シーズンの試験栽培を経ないと入手できないというものでした。
もちろん、植物も昆虫も、他の動物も、本来の生態系を破壊しないように生体の輸出入(実際には輸送や採集・捕獲ののストレスで検疫以前に死んでしまう個体が多いことも問題)はある程度制限が必要であって、現在のように検疫が間に合わないほどのグローバル化は本来の生態系、地球の循環を損ないかねない、ゆゆしきことなんですが・・・ウィルスや伝染病もしかり。
原種で、ネリネ・ボーデニー。種苗会社から白花のを購入したのだが、こんな色に。しかも花弁が細くてクモのよう。こいつは寒さには比較的強いみたいで、ほぼ路地でも越冬する。そしてほかのネリネたちのようにしっかり休眠し ない。 |
で、その頃、平尾氏は海外の園芸サークルによる種子の配布や、同好の志との趣味家ソサィエティーに参加していて、水産庁の仕事の傍ら、園芸書の執筆などもたくさんしていました。ガーデンライフという月刊誌や、その出版社が手掛けるハウツーものの単行本など。高校生の頃、わたしは園芸オタクで、ガーデンライフは高いので毎月は買えなかったのですが、あるとき100号だか200号だかの記念で、執筆者の先生方による、球根や宿根草の種子配布というのがあったのです。それで、当時球根を種子から育てるなど(今でも大半の人はそうだと思いますが)、考えも及ばず・・・で、わたしは平尾秀一氏による、ラッパ水仙の種子を応募し、送ってもらいました。
たしか種子と一緒に手書きの育て方指南と、ご丁寧に質問などの問い合わせ先としてご自宅の連絡先も併記されていました。
それで、身近に師匠がいなかったわたしは、勝手に弟子入りしたのでした。(ご本人が弟子と認識されていたかは不明ですが、たしか一周忌に集まった弟子たちが「園芸ニュースレター」というのを立ち上げてしばらく続きました・・・それも時間経過で形としては分解してしまいましたが、たぶん弟子たちそれぞれ中に何かが残っていると、わたしは感じています)
それでも、お忙しい身だったはずなのに、何度かご自宅に伺ったり、園芸農家に連れて行ってもらったり、雑誌の打ち合わせに同席させていただいたり(焼肉も!)、丸ビルでビールをごちそうになったり・・・自宅にも何度か寄ってもらって、伊豆方面で水産関係の会議があるときは(当時わたしは東京の生花販売会社に勤めていたので自宅には両親しかいませんでしたが、気軽に立ち寄ってお昼を召し上がったりして楽しいお付き合いでした)帰りに寄ってくださったり。
伊東の「さくらの里」公園のヘメロカリスは平尾氏の寄贈によると聞いたのであちこちにそういう付き合いがあったのだと思います。
そのようにして、平尾氏ゆかりの植物は少しずつ我が家にもたらされていました。
そして氏が定年を迎えられて、これから園芸三昧というときに、当時会長をしていた「花菖蒲の会」の会議で京都にいらして、そこで心臓発作を起こし、そのまま鬼籍に入ってしまわれました。
ネリネ・プディカ、今年はずっと日陰で夏にきっちり干さなかったせいか花が貧弱で少ししか咲かなかった。これも横山園芸さんで購入したもの。 |
それから、もう20年以上経ちます。
生花販売の会社に勤めているときに、早く足を洗って「ナーサリー」(欧米で言うところの販売まで手掛ける園芸農家、もちろん育種もする)をやりなさい、とさんざん勧められたのですが・・・結局その道には進まず・・・
でも、本業ではありませんが、2足目のわらじとして今も履いています(笑い)。
落合けいこ様
返信削除平尾先生のネリネ・ウンデュラータ
キレイですね✨
30年たっても
とても元氣そう(^^)
匿名さんへ
返信削除ほんとうに、いまだに元気なネリネ、平尾先生の言葉とともにずっと残っています。
優れた園芸植物の条件として、日本の気候に合って高温多湿な夏を越すもの。特別な加温が必要なく越冬するもの。あとコボレ種で勝手に増殖したり圃場の外に逸脱しないもの。植え替えなどの少しの手間がかかるもの。
この条件に合う植物として、日本さくら草をあげていらしたのですが、いただいた実生のさくら草たちは植え替えを怠ったために消えてしまいました。
その代り、ヘレボラス(クリスマスローズ)は、我が家の日当たり不良が合っていたようで、適当に増えつつ最低限の管理で毎年咲いてくれます。
たくさんのラッパ水仙や球根類の実生も、もう40年も続く「趣味の園芸」です。
落合けいこ様
削除ワガヤも平尾先生由来❓のネリネを育てています
落合さんちのネリネちゃんと親戚かも⁉️
ネリネの花言葉「また会えるのを楽しみ」のように
いつか落合さんに機会があったら
ワガヤのネリネちゃんも
見てもらえたらうれしいです
平尾先生のご縁もネリネのご縁も
時空を超えて❓ありがたいなぁと
思っています(^^)
落合様、
削除コメントの入力操作を
間違えたみたいです
ごめんなさい…
落合けいこ様
返信削除お花を見るたびに思い出す平尾先生
まさにネリネの花言葉「幸せな思い出」
がピッタリですね(^^)