冬の庭の花
まずはヒガンバナにそっくりでカラフルなネリネ・・・南アフリカ出身です。
大輪の園芸種がいくつかと、清楚な原種が2種。ダイヤモンドリリーという素敵な別名があるように、花弁は光を反射してキラキラ輝いています。ヒガンバナは花の時期がとても短いのですが、ネリネたちは気温が低いからか少しずつ開花してとても長持ちします。
このネリネたちには、ひとつの思い出があります。
この花を最初に知ったのは今から30年ほど前のこと。
今のようにガーデニングは盛んでなく、園芸店の店先に並んでいる植物の種類も限られていたころのことです。
そのころ、「ガーデンライフ」という月刊誌があって、今から思えば当時はかなりマニアックな、マイナーな世界だったのですが、ピンクのいわゆるラッパスイセンや、ヨーロッパなどの日本では見たことのない庭造りや植物たち、そんなものが紹介されていました。
もちろん、盆栽とか、山野草とか、おじさんたちが好みそうな「園芸」記事も多かったのですが、その当時日本の庭といえば日本庭園の一部みたいなものか、または丸や四角く囲んだ色別の花壇くらいなものだったのです。最近のガーデニング誌みたいなものは、たまに洋書屋さんで見つける立派で高価なものや、少し時代遅れのアメリカやイギリスのリビング系雑誌くらいでした。今、そのようなものはかなり日本風になってはいますが、日本の本屋さんで普通に売られるようになりましたけれど。
で、その「ガーデンライフ」という雑誌がご縁で、最初のネリネは我が家に来ました。その雑誌に執筆されていた平尾秀一氏(故人)と、ひょんなことから知り合い、というか単なるずうずうしい一読者であるわたしを氏はかわいがってくださり、ヨーロッパなどから自身で輸入された珍しい植物を下さったり、園芸家を訪ねるのに同行させていただいたり・・・とても面倒見の良い園芸界の主導者で
した。ご自身は当時水産庁に勤められるお役人で、園芸と2足のわらじ。残念なことに60歳で退官されて、これから園芸三昧というときに心臓のご病気で他界されてしまいました。現在日本でご活躍されている多くのナーサリー(園芸植物の生産者)園主の方々も同様に若い頃、氏と交流があったようです。
氏が亡くなってかれこれ20年、いただいた種から出たネリネはかろうじて生きているものの、ウイルス病になってしまってもうしばらく花を見ていません。種子から育て直せば良いのですが、ネリネを積極的に育てるのには無加温でも温室なりビニールハウスなりが必要で、いまのわたしにはちょっと無理です。
そんな中、数年前にあるナーサリーを見学させていただき、平尾氏由来のネリネをいくつか分けていただきました。しかし、やはりウイルスに弱いらしく、調子はいまひとつ。市販品の中には病気に強いものもあり、そういうものが市場に残ってゆくのでしょう。やはり時代の変化につれて園芸植物も変化していくものだと感じました。しかし、平尾氏がまいたたくさんの種たちは、今も日本各地で子孫を残し、たくさんの人たちのまわりで花を咲かせているのは確かです。不遜ではありますが、自称弟子であるわたしも、そんなことから細々種まきや新たな花を求めて育種(交配してあたらしい品種を作ること)のまねごとを続けています。ちょっ
とマニアックですが、そんな園芸の世界を紹介する「園芸ニュースレター刊行会」興味のあるかたはぜひのぞいてみてください。はまっても責任はとれませんが・・・
大輪の園芸種がいくつかと、清楚な原種が2種。ダイヤモンドリリーという素敵な別名があるように、花弁は光を反射してキラキラ輝いています。ヒガンバナは花の時期がとても短いのですが、ネリネたちは気温が低いからか少しずつ開花してとても長持ちします。
このネリネたちには、ひとつの思い出があります。
この花を最初に知ったのは今から30年ほど前のこと。
今のようにガーデニングは盛んでなく、園芸店の店先に並んでいる植物の種類も限られていたころのことです。
そのころ、「ガーデンライフ」という月刊誌があって、今から思えば当時はかなりマニアックな、マイナーな世界だったのですが、ピンクのいわゆるラッパスイセンや、ヨーロッパなどの日本では見たことのない庭造りや植物たち、そんなものが紹介されていました。
もちろん、盆栽とか、山野草とか、おじさんたちが好みそうな「園芸」記事も多かったのですが、その当時日本の庭といえば日本庭園の一部みたいなものか、または丸や四角く囲んだ色別の花壇くらいなものだったのです。最近のガーデニング誌みたいなものは、たまに洋書屋さんで見つける立派で高価なものや、少し時代遅れのアメリカやイギリスのリビング系雑誌くらいでした。今、そのようなものはかなり日本風になってはいますが、日本の本屋さんで普通に売られるようになりましたけれど。
で、その「ガーデンライフ」という雑誌がご縁で、最初のネリネは我が家に来ました。その雑誌に執筆されていた平尾秀一氏(故人)と、ひょんなことから知り合い、というか単なるずうずうしい一読者であるわたしを氏はかわいがってくださり、ヨーロッパなどから自身で輸入された珍しい植物を下さったり、園芸家を訪ねるのに同行させていただいたり・・・とても面倒見の良い園芸界の主導者で
した。ご自身は当時水産庁に勤められるお役人で、園芸と2足のわらじ。残念なことに60歳で退官されて、これから園芸三昧というときに心臓のご病気で他界されてしまいました。現在日本でご活躍されている多くのナーサリー(園芸植物の生産者)園主の方々も同様に若い頃、氏と交流があったようです。
氏が亡くなってかれこれ20年、いただいた種から出たネリネはかろうじて生きているものの、ウイルス病になってしまってもうしばらく花を見ていません。種子から育て直せば良いのですが、ネリネを積極的に育てるのには無加温でも温室なりビニールハウスなりが必要で、いまのわたしにはちょっと無理です。
そんな中、数年前にあるナーサリーを見学させていただき、平尾氏由来のネリネをいくつか分けていただきました。しかし、やはりウイルスに弱いらしく、調子はいまひとつ。市販品の中には病気に強いものもあり、そういうものが市場に残ってゆくのでしょう。やはり時代の変化につれて園芸植物も変化していくものだと感じました。しかし、平尾氏がまいたたくさんの種たちは、今も日本各地で子孫を残し、たくさんの人たちのまわりで花を咲かせているのは確かです。不遜ではありますが、自称弟子であるわたしも、そんなことから細々種まきや新たな花を求めて育種(交配してあたらしい品種を作ること)のまねごとを続けています。ちょっ
とマニアックですが、そんな園芸の世界を紹介する「園芸ニュースレター刊行会」興味のあるかたはぜひのぞいてみてください。はまっても責任はとれませんが・・・
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