さとやま暮らし

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2014年8月22日金曜日

再放送のお知らせ

最近のミラクルで、こんな番組を見ることが出来ました。

ピダハンという南米の先住民が、色や数字、過去や未来の概念なしに生活していた、という内容です。
そこに布教のために派遣されたカナダ系の宣教師が、今は言語学者らしいのですが、新しい学説を立てて、それが既存の言語学者たちの反感をかって、再訪出来ずに終わり、その民族は現地の政府に定住化されつつある、というような内容でした。

彼はそこで原住民の生活や言葉を学び数年を共に暮らして、結局彼らは幸福で宗教を必要としていないと知ったのです。そして、彼の家庭は壊れ、宗教からも離れて言語学者になったらしい。

美大の講師を助っ人してくれた友人にもこの情報を送ったところ、再放送があると調べたらしく、送ってくれました。8月25日の深夜だそうです。



詳しくはこちら!

人が野生生物として生きているころ、過去や未来、物質にとらわれることなく、幸福感もきちんと持っていたのでしょう。
ドイツ人、故ミヒャエル・エンデの「モモと時間泥棒」に出てくるように、効率や経済に振り回されるようになって、犬や猫や、他の動物たちが持つ幸福を失くしてしまったように、わたしは思います。
「人は道具を使えるすぐれた生きもの」などではなくて、時間とものに振り回されて、幸福感を失くした不幸な生きものなんだと感じました。

しかし、ネットの普及によって、現地を訪れることなくいろいろな情報を得られたり、また、言葉や習慣の違いによる多様性をお互いに認め合うことも可能かもしれません。
人類はその生物学的な危機を、今迎えているけれど、同時にその生物学的な感性によって、もしかしたら生きものとしての命を取り戻せるかもしれない・・・という希望が見えます。「オトナ」の務めはあきらめないこと。

8月だというのに各地で豪雨の被害かあるこの頃。
干ばつや洪水、地震や竜巻。
自然とは、天災を含む宇宙の営みであって、すべての命は等しく役割を持ち、宇宙の法則に従って生きるものである。
すべての命は謙虚に、それを観察して、自らの命をまもらなければならない。
そして、すべての命は共鳴・共振することが出来て、それこそが「幸福感」なのではないか?

エンデさん、もう少し生きててくれればよかったな。

追記
こちらも面白いです。(有料なんですけど)

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