宿題

 コロナ禍・・・長い夏休み・・・みたいな感じです。

この間に社会復帰を目指して、いくつかのリモート講演を視聴しました。

突然の身体しょうがいから、社会復帰出来ないまま・・・

本来定年の無い自由業、いずれは社会復帰出来るもの、と目指して来たわけですが・・・

もうすぐ8年の、この間が「老人介護施設」利用者だったため、気づいたら半分老人になってしまい・・・

まるで「浦島太郎」でした。

後継者も、製造の現場ももはや無く、両親も子も無く・・・

この上、希望と言えば、かつて自分が育った自然環境に近いものを未来に繋ぎたい思いが募り・・・

そのリモート講演「里山ミライ化計画」の延長上に、質問に答えてくださるというアフターサービス?がありまして、早速質問させていただきました。

すぐにお返事を頂き、予測してはいましたがやはり現状では方法が無い、というお返事でした。

それだけではつまらないので(質問・・・というよりは愚痴・笑い)ブログにも書かせていただくことにしました。

以下わたしの質問(愚痴)全文です。

はじめまして。

わたしは、やまね工房という「ぬいぐるみや」兼、布を主体とした動物や鳥の展示用レプリカなどを製作していたものです。

環境省のお仕事も随分いただきました。

じつは、始めたきっかけはWWFJの募金活動でして、学生のボランティアを継続して出来るようにと、起業したのでした。

当時、熱帯雨林伐採反対・・・など、声を張り上げても、聞く耳を持つ人はほとんど居ませんでした。

時は流れ、「零細製造業」は、下請けの地場産業工場が東北新幹線開通によって働き手を失い、製造を支えるために孫請けを北海道の網走に作りました。

そして30年営業を続けましたが、下請け工場の高齢化、後継者不在で一昨年店舗も閉じました。(考えてみると、今のコロナ禍と同じ理由で、手仕事はその当時ほとんど中国に移行したのでした)

締め切りに追われていた2011年、東北の震災によって計画停電、また原発事故があり「終わった」感で仕事が手に付きませんでした。

そして、何とか終えた2013年夏、自身が「クモ膜下出血」で、半年入院・・後遺症で体幹機能を失い、ほぼ歩けません。

一方、両親はすでに亡く、子どもも居ないので自宅の敷地・・・約300坪をかつて、わたしが育った頃の雑木林に戻したいと、切に願うものです。

ところが、保護団体などの寄付はメンテナンス不要の広大な、いわゆる原野、以外は売って現金化しないと受け付けてくれないようです。

原生林では無い、いわゆる「里山」や中山間地の田畑が、環境保全や防災の重要な役目を担っていたことは、最近ようやく明らかになって来ましたが。

そこをちょっと前まで保全していた、現金収入ではなく、先祖伝来の田畑を守るという先達が、その当時80代・90代で、もはや絶滅してしまい・・・

所有者不明や、どのみち現金化は出来ない、放置された荒地ばかり増えています。

杉・ヒノキの山林もしかり。

かくて表土の無い放置林は、大雨で崩れる訳です。

どうにか、国策でこのような荒地を落葉広葉樹の里山に戻す方法は無いでしょうか?

わたしが住んでいるところはいわゆる限界集落でも、過疎の山間部でもなく、市街地といわれるような住宅地です。

でも、かつての薪炭用雑木林に隣接した、今では土石流危険流域(不動産収入を当てこんだ行政による乱暴な道路建設により)になってしまった伏流水の沢…ちょっと前までホタルが居たり、昔はハコネサンショウウオやミゾゴイが居る、典型的な里山でした。

人類が、ここ300年くらいの間にやりたい放題やってきた「不都合な真実」はもはや、今すぐ全ての活動を休止したとしても手遅れでしょう。

そして、生きものである地球の命は、1000年単位の時が流れれば自然治癒で生き返るかもしれません。

もし、人類にも未来があるとすれば、知恵を結集して微生物や植物と協力し「循環」を促進する社会にシフトするとこだと、わたしは思います。

そのためには、デストピアで脅すのではなく、ユートピアの絵を描くことが大切なのだろうと今は思います。

とりあえず、わたしの肉体が寿命を迎えても、育ててくれた大地を元の里山に戻したい・・・何か方法は無いでしょうか。

質問、というよりは愚痴でした。










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