年の初めに・・・

2015年が終わりました。



ま、人類のカレンダーでは、ね。

この一年を振り返ってみると・・・

まあ、毎年振り返るといろんなことがあるけど、個人的には今までで一番、変化が無かったような気もする。

淡々と日々を送る、ということで精いっぱいな毎日。

それってじつは当たり前なのかもしれないけど、2年半前までは予定に振り回されて、一切の余裕がなかった。

常に目の前にやるべきことがあって、そのために生きてた。

突然普通に息をすることも、自分を維持することも出来なくなってみて、その予定というものは自分でこしらえた幻だったのかもしれないと、今は思います。
生物学者の福岡伸一さんが、新聞のコラムに書いていたけれど、「失ってこそ得られるもの」という題で。
動物と言われる、動く能力がある生物は、必須アミノ酸を自己合成する能力を失ったらしい。これは、必須と付いているからには無しでは生きものとして存続出来ないものらしい。で、福岡先生の考えでは、無しでは生きられないから、そのアミノ酸を摂取するために動いて、それで動物になったんだと。
つまり、欠損や障害はマイナスじゃないんだって。新しい可能性の扉を開く原動力になる、と結ばれていました。
ふーん、そうなのか? と思ったけど。

ま、突然訪れた「動けない」という障害には、正直参ったけど。

でも、予定や計画を失うことは、わたしにとってある意味プラスだった気がする。
たぶん生まれてからそのときまで、抱えていた矛盾の答えを、与えてもらった気がします。理屈ではなく、体や脳に直接。
それまで何となく感じていたものが、間違っていなかった確証として。
そして、体感したからこその説得力を得たのでした。

「こころ」や「たましい」の存在、目に見えないもの

人類は哺乳類の一種で、地球上の生物の一種に過ぎないこと。
地球という生命体の上で、自分の体の中のひとつひとつの細胞と同じように、ひとつが他のために、みんなで奏でるシンフォニーのように、みんなで織り上げるタペストリーのように。どれひとつをとっても不要なものなどない。それぞれが大切なひとつの役割を持っている。それでなければ循環する、つまり生きている
ことにならない。

地球上のすべての物質は共通の感覚を持つ同胞であること。

そして、残念なことに人類はその感覚を失いつつある。

わたしは地球上に今、生きているいのちとして、それを失いたくはないのです。

人類が作った西暦2016年の始まりに。

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