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桜の花が咲く頃、暑くもなく寒すぎもしない、一年で一番いい季節になりました。 今年は寒さが行きつ戻りつで、なかなか花が開きませんでしたが、冬の次には必ず春がやって来るもので、気が付けば周りは花盛りです。 桜の季節はじっくりと待たせて、あっという間に通り過ぎてしまうものですが、植物の中では律儀なほうなのでしょうか、花や野菜の種まきの指標になっていたりします。桜のつぼみがふくらんだら、今年の種まきの準備をして、花が咲いたら種をまく。「何月何日に何をする」という予定ではなくて、季節に合わせてものごとをすすめてゆくというのが、かつての人々の暮らしだったのでしょう。 植物や動物を含め、自然を相手にする暮らしではものごとは予定通りには行きませんが、自然の流れをいつも自分のものとして感じることは出来たはずです。そこには、ちょっとした変化を感じる観察力や、じっくり待つ忍耐力、一気に仕事をする集中力など、いろいろな能力が必要なのだと思います。 一方、現代の人々は、日々日常どんどんそういうものから遠ざかっているような気がします。カレンダーに合わせて、予定の通りにものごとが進んでゆくのは当たり前で、桜の開花予想がはずれたら、いろいろ困ったことになったりするのです。 でも本来、桜は季節に合わせて花を開いているわけで、それが桜の知恵なのです。そうすることによって桜は、いえ植物や動物たちはこの地球上に永く生き続けて来られたのではないでしょうか。 人々は近頃、カレンダーに合わせて花を咲かせたり、野菜を作ったり出来るようにもなりました。だからといって、自然の流れを変えることが出来た訳ではないと思います。 このところ各地で起こる、地震をはじめとする自然災害を見ていると、人間はもう一度、桜の知恵に敬意を払うべきなのではないかと思います。 なにはともあれ、我が家でも山桜や大島桜、コブシや木蓮が咲き、4つの卵塊からヤマアカガエルのおたまじゃくしが泳ぎ出して、小鳥たちのさえずりもにぎやかになってきました。この春が行ってしまわないうちに、たっぷり楽しみたいと思います。

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思ったより寒い今年の冬が終わろうとしています。 当地では例年、この時期に湿った重い雪が降り、それは同時に冬の終わりを告げるものなのですが、今年は少し様子が違うようです。というのも、1月から2月にかけて割合空気が湿っていたのに、2月の終わりから3月になっても、空気が比較的乾いて気温が低いようなのです。そのせいか、3月に入ったとたん、私もついに風邪をひいてしまいました。 2月の終わりに降った雪は、いままでここで降ったどの雪よりも美しく、きらきら輝いていました。夕方から降り始めた雪は、大粒のふわふわしたもので、外出していた私が帰宅する頃には、近くの桜の木全体にふんわりとまつわりついていました。それはまるで桜の花のように見え、一瞬、突然桜が開花したのかと思ったほどでした。 そして、庭の木々は全体がまさに雪化粧。 いつもこの時期に降る雪はこんなにふわふわしたものではなく、べったりと水っぽくて、枝についた雪がしなり枝を折ってしまうほどなのですが、この雪はきらきら輝きながら枝にとまっています。 さらに、空には満月に近い月が輝き、ほんとうになんとも言えない美しさです。 雪がそういう状態でいる、ということはたぶんこの時期にしては気温が低く、空気も乾燥していたのだろうと思うのですが、寒いのも忘れてしばし見とれてしまいました。 寒さのおかげで、その雪は翌朝まで大部分が残り、朝日に当たって雪が滑り落ちる様はまるで雪国の深い山のような有様でした。 とはいえ、先月産卵されたヤマアカガエルの卵たちも小さなダルマ型に生長し、キジバトはどうやら次の卵をあたためるつもりらしく、春は一歩づつ確実に近づいているようです。 今夜はまた雪の予報ですが、たぶんあんな雪景色はもう見られないでしょう。 今年は東北や日本海側でも雪が多く、雪による被害もかなりあったようですが、身近でよく知っていると思っている雪でも、気温やそのほかの条件でずいぶん違うものに見えるなあ、というのが発見でした。 自然のなせる技は深く、多様で、美しくも恐ろしくもあるものだ、というのは当たり前ですが、普段の生活の中では忘れがちです。このごろはそれを思い出させるような出来事が多いような気がします。

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1月は平年並みという感じで過ぎてゆきましたが、「そろそろかな」と思っているヤマアカガエルの産卵が今年はまだです。とても暖かいときには12月に産卵することもあるようで、彼らには何月?なんていう認識はないのですね。 夏が過ぎ、だんだん寒くなって少し冬ごもりをし、そのあと暖かい日が何日かあって湿度も整うと産卵するのでしょう。正確には気温何度、水温何度で湿度が何パーセントの時間が何時間というふうに、たぶんある程度きっちりした条件があるのだろうと思います。長い間にきっと遺伝子?が統計をとったのでしょうね。 これは例年、桜前線のように日本列島を北上してだんだん広がってゆきます。何年か前には1月の早いうちに産卵があったのですが、今年はときどき鳴き声が聞こえるものの、産卵は確認出来ません。かえるの長期予報では、今年は暖冬ではないのかも知れません。 さて、鳥の世界では少し事情が違うようです。去年の12月に巣材を運んでいたキジバトは、1月になって、毎日3匹の大きな犬が走り回り、その根元で夜中におしっこをしたり、周りの木をばっさり枝おろししたにもかかわらず、1月12日に2羽のひな鳥が巣立ちを迎えました。時々見上げると、なんとなく中身があるように黒っぽかった巣は、ひながいなくなって、やはりすかすかのからっぽという感じになりました。それにしても、この一番寒い時期に、人の生活の目と鼻の先でよくも無事に育ったものです。 考えてみれば、過去にその周りの木で夏に巣作りしたときは、2回とも巣立ち直前をねこに襲われ、ひなの少なくとも一羽は命を落としたのでした。いずれも、我が家の仕事場から一メートルという至近距離で、どうやら彼らは人間を外敵から身を守る盾に使っているみたいです。ひょっとしたら、犬たちも利用されているのかも・・・・。 そして、秋にも繁殖するとは聞いていましたが、こんなに寒い時期でもひなたちは耐えられる強さを持っているのですね。それに、ひなたちを養うだけの食べ物もあるということです。ひなの最大の敵であるねこやカラス、猛禽なども、まさかこんな季節にキジバトが子育てをしているとは思わないのかもしれません。 そんなこんなで巣立ったひなたちは、まだ庭の中でうろうろしていていきなり走ってくる犬に驚いて飛び立ったりしています。彼らが一人前のキジバトに育つことを祈って・・・・。 マンサクのつぼみもふくらみ、...

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去年は世界中でいろいろなことがあって、大変な年でした。 そういう意味では年が明けても、すっきりあらたまるという感じではないのですが、とにかく、無事に2005年がスタートしたのはめでたいことです。 今年は、一月になってから寒い日が続いたので、カエルの産卵はまだですが、植物たちは軒並み例年より1ヶ月前後早く花を付けています。当地では早咲きの桜が咲き始め、12月半ばくらいには水仙が、いつもは節分に少し遅れる洋種のせつぶんそうもすでにつぼみをもたげ、一般にクリスマスローズと呼ばれるヘレボラス・オリエンタリス(レンテンローズともいいレンテン節に咲くといわれる・・・例年2月半ばくらいから咲く)も早いのはクリスマスに咲いていました。 そして12月のある日、工房の脇にある槙の木にキジバトが枝を運んでいると思ったら、なんと産卵したらしく1月になっても親鳥がそこに座っています。キジバトは春のほかに秋遅くにも産卵することがある、と聞いてはいたのですが、まさかこの一番寒い季節を選んで子育てをするとは・・・・。 しかも彼らの巣は思いっきりぞんざいで、前にヒメシャラの木に作ったときは下から卵が透けて見えたほどです。普通鳥の雛が育つ季節とは全く異なる時期に繁殖することで、天敵(カラスやネコなど)の目を欺いているのでしょうか。でも寒さは大丈夫なのかなあ。もしかして暖冬と予測したのか?ちょっと謎です。 そんなハトの行動とは別に12月の終わり頃、庭の一番奥でちょっと変わった拾いものをしました。ある朝、飼っているレトリバーの一頭が地面に鼻をつけ、しきりにくんくんやっていました。近づいてみるとそこには黒っぽいちょっとほこりのような感じの小さな固まりが転がっていたのです。長径が2センチくらいのきたない小さな固まりです。なんだろう、と思ってつまみあげ、手のひらに乗せると妙に軽く、それが小鳥の羽の固まりであることに気づきました。 軽くほぐすと中から小鳥のものと思われる小骨がぽろぽろ出てきました。うーんこれはもしや?と思い、早速それをビニール袋に収納。鳥の図鑑をいくつかぱらぱらめくると・・・・やっぱり。これはフクロウの「ペリット」でした。 フクロウやカワセミの仲間など、獲物を丸飲みにする鳥たちは、その骨や消化しにくい部分をペリットと呼ばれる固まりにして、あとから「ぺっ」とはき出すのです。ちょうどジューサーの絞りか...

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年々、1年が早くなる感じがしますが、今年はなんだかいろいろなことがあってとても長かったような、あっという間だったような、へんな感じです。いまとなっては春の記憶は曖昧で、暑くて長かった夏もおぼろげに、地面は落ち葉で覆われいる・・・。 しかし今年は12月になってから台風のようなものがやって来たり、ひんぱんに地震があったりして、自然の力の偉大さ、人類の無力さを認識する機会が多くありました。 気候の変動や地殻の変動など、人の歴史とは別に地球自体のサイクルがあるのでしょうけれど、普通の生き物の寿命の中でそれを体験することは不可能だし、他の生き物たちがそれを認識しているかどうかは不明です。けれども、地震の前に異常行動をしたり、遠い祖先の記憶を持ち、何かの時には事前に察知する生き物も多いのだろうと思います。そうして激動?の地球をいままで生きてきたのですから。残念ながら人類は、過去の遺物のなかにその痕跡を学ぶことに長けてはいても、それを察知して行動する能力はどこかへ置いてきてしまったようです。そればかりか、もしかしたら過剰な経済活動などによってそのような変動を促進している可能性もあるかもしれません。 先日、所用で富士山の見えるところへ出かけたのですけれど、冠雪はほんのわずか、山頂にうっすらと乗っていただけでした。やっぱり富士山には雪が似合いますね。雪のない冬の富士山はなんだか変です。今年は秋も遅くなってから春の花が咲いたり、冬眠前の月輪ぐまが山から下りてきたり、いつもと違う季節の巡りが多いことは確かです。 一年の区切りは四季の移ろいという意味では一巡りですが、地球の歴史から言えば一年の単位などないに等しい短い時間です。来年になったらなんとかなるだろう、なんて思わずに植物や自然の変化に注意して、私たち人類も過去のDNAからメッセージを受け取りたいものです。この地球上でもうしばらく共存してゆくために。 とはいえ、来年は悪いことよりもいいことがあってほしいですね。 みなさま良い年をお迎えくださいますように。

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台風が来て、地震が来て、雨ばかりだった10月が終わりました。 それにしても、いろんなことがいっぺんに起こった10月でしたね。過去に例のない水害や、大きく地形の変わってしまった地震災害、いまだに続く余震、被災地のみなさまにはほんとうにお気の毒で、なんとか落ち着いて生活出来る状態になればと願うばかりです。 長引く不況や、お年寄りの多い過疎の地域をおそったこれらの災害は、単なる地域の問題ではなく、いまの日本の未来に暗い影を落としているようで、とても気がかりです。お年寄りばかりになった山間地の農村では、ただでさえあと何年田んぼや畑が出来るだろうか、というところだったのに家やこれらの農地がかなりのダメージを受けて、はたして続けられるのだろうか。地方の所々閉店している商店街にも同じことが言えるでしょう。それは、現在の被災地ばかりではなく、自分が住んでいる地域にも少なからず当てはまります。 この機会に、私たちは自然の持つ力や災害の脅威、自分たちの暮らしにもう一度きちんと目を向けて、何かを変えなくてはいけないのでは、と感じます。被災地の状況を自分のものとして、当初ばかりでなく、長い目でみて自分になにが出来るかを考えてみたいと思っています。 さて、冬の到来を前にして、庭で一羽のウグイスと接近遭遇しました。先日、何かの用事で庭のミカンの木の脇を通り過ぎたところ、何か変わった鳴き方をする小鳥がいるのに気づきました。なんだろう、と思ってじっとしているとそれは目の前に自分から姿を表したのですが、一羽のウグイスでした。この季節、いつも藪の中で「笹鳴き」といわれる「チャッチャッ」という声で鳴くのを聞くのですが、それとはちょっと違う鳴き方でした。それから、そのウグイス君はわざわざ姿を見せつつ、その隣にあるムベ(アケビの仲間で、鳥などが好んで食べる実がなる)の蔓の中へ入っていきました。 先日来、たくさん実ったその実の大きくていいところは、あらかた収穫してしまったのですが、ウグイス君はまるで「あとはもうとらないで残しといてね」と言っているようでした。 【クリスマス講習会のお知らせ】 1.イングリッシュローズのスワッグ シルクで出来たイングリッシュローズやソフトピンクのポインセチアの花などをアレンジして、ちょっと大人っぽくておしゃれなクリスマスのスワッグ(壁やドアなどに下げ...

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暑い暑い季節が終わり、さわやかな秋を心待ちにしていたのですが、期待は見事にうらぎられて、10月に入ってから雨ばかりです。 秋晴れが一日あったかな、と思ったら、なんだか初冬のような冷たい雨の日が続いて、次にはとうとう「非常に強い」台風が「直撃」してきました。今年は各地で台風や地震、火山の噴火など、いわゆる天災が相次いでいます。当たり前のことですが、久しぶりに自然界のエネルギーに直面して、人の力の小ささや、普段の生活の安定が、じつはそういうものがたまたま起きていないというだけのことである、という認識を新たにしました。 今年は、春先から妙にいつもと違う・・・という感じがして、季節を重ねるごとにそれが大きくなっています。台風の数も多いし、その大きさや強さもいままでと違います。もっとも、過去にはそんな大きな台風がいくつもやって来た年があったわけで、たまたまここ数十年大きな台風や地震などが「少ない」だけだったのかもしれません。ひょっとしたら今年のようなのが「普通」で、いままでが静か過ぎたのかも・・・なんて考えたりして。しかし、今生きている生き物たちは、太古の昔から自然界の様々な脅威にさらされながら、それをくぐり抜けて種として生きてきた訳です。それってすごいことだよね。 遺伝子の中のどこかにそんな強さが隠されているのだろうか。けれど、今年のように各地からの便りでクマが殺されたり、野生動物の繁殖がうまくいかなかったようだ、という情報を耳にするとほんとうに彼らは生き残れるのだろうか、と心配になったりします。まあ、生き物たちの歴史のなかで、そんなことは今まで何度もあったのかもしれないし、よけいなお世話かもしれないけど・・・。 山から降りてきて人里でお年寄りを襲うクマたちを見ていると、クマもお年寄りも気の毒で、やりきれない気持ちになります。一見強そうなクマたちではありますが、どうしようもないくらいお腹が空いて、行くところもなくて、食べ物を求めて里に降りれば必ず殺される。そして、そのような里山で、田んぼや畑を守っているのは、いまではたいていお年寄りばかりなのです。当然人手は足りなくて、里山もそれに続く山林も荒れています。クマと人のトラブルの原因はそこにある、という見方もあります。 自然の中の生き物たちの関係を見ていると、小さな微生物から大きなクマまで、いろいろなものたちが食べたり食べられた...