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本の紹介 神(サムシンググレート)と見えない世界

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久しぶりに本の紹介です。 じつは読んでからかなり時間が経っていて、とても共感できたので知人にも配ったり・・・ ですが、読後感をまとめるのに時間がかかりました。何だかうまくまとまらなくて今まで一年近くおいてあったのです。 この本は東大の救急医療現場に現役でいらっしゃる矢作直樹氏と筑波大学名誉教授で遺伝学の博士、村上和雄氏の対談をまとめた体裁の新書本です。 久しぶりなので後書きを読み返してみて驚きました。 最初に読んだときは気づかなかったのですが・・・ わたしが臨死体験してから気づいたことが、そのとおり書かれていたからです。 臨死体験する前から、自然に近いところに身を置いていた感覚はあったし、40年に及ぶ植物育種の過程で植物の意志を感じていたということが関係しているのかもしれません。 つまり、遺伝学でいうところのDNAだけでなく、過去に経験したことが積み重ねられ、その意志が表現されるということ。魂の存在。 それは「量子」に関係するのではないかと、テレビ番組の情報などから考えていたのですが、村上氏も後書きに同じことを書かれていました。 前にも書きましたが、昆虫記を著わしたファーブルが、「死は終わりではない。 より高貴な生への入り口である」と言ったことや、宮澤賢治の鉱物にも魂があるという考え方。 昨年事故で亡くなったデザイナーのヨーガンレール氏が海岸や河原の石を拾うのがお好きで自然の造形より美しいものはない、とおっしゃっていた、ということも。彼は海岸で拾ったプラスチックの廃物をランプに加工して展覧会を開く計画をもっていたらしく。 宮澤賢治は別として、現代に生きる著者お二人も、わたしもですが東日本大震災とそれによって起こった原発事故が、「何かしなくちゃ、言わなくちゃ」という思いを駆り立てている気がします。みんなつながっていると感じます。 自然界の美しいもの。共感や共振こそが幸せで、科学や人が持つ能力はそのためにこそ使うべきである、(地球上の循環を阻害するのではなく促進する方向に)ということ。 生活のほとんどは慣れで出来ていて、学習することでたいていのことは出来るけれど。必要なのは本来もっているはずの生物としての感性で共感や共振すること。 科学者の両氏もたぶん、そのように考えられているのだろうと感じました。 人類の未来に!

幸福感とは

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「幸せ」は物質ではない。 そしてそれは感性でのみ感じられることで、「今」という瞬間なんだと思う。だから、継続はあり得ない。 それはたぶん、他者との共感や共振そのものであって、人間同士である必然はなく、多種の生命、ひょっとしたら鉱物などの無機質ともあり得る。 すなわち、「美しい」「心地よい」と感じるものをその瞬間共有すること。 それは個々の魂が記憶する。たぶん、種や時間経過を越えて。 でなければ、この世界がこんなに美しいもので覆われているはずがない。 求めよ、さらば与えられん・・・ 人類の特技は想像すること。 たぶん、他の生物は未来という定義を持たずに生きている。だから、自分たちの曼荼羅上での役割を見失うことがないのだ。人類は未来のことも過去のことも考える。 若いうちは学習出来たので、過去に学んでいたけれど、たぶん口承で伝えていたころには大切なことは伝えられたのだが、それを言葉に置き換えて記録してから伝える方法を編み出してからは、大切なことがこぼれて落ちちゃったんだろうな。 おとなの務めはあきらめないこと。 今必要なのは、本来のタペストリーに戻るための具体的なビジョン。 具体的であれば共有しやすいし、なにより実現する。 求めよ、されば与えられん・・・利己のための求めではなく。 しかし、具体的なイメージにまで高めなければ実現はない。 表現者は、感性でイメージを描く。 そしてそれを表現するのは技術であって、これは磨くというか技術の学習で習得できる。だから、当然技術の習得は必要なのだが、ビジョンがないところに表現はあり得ない。 感性はたぶん、半分以上は天性というか個々が持っているものだ。 そう考えると、過去にその魂が経験した記憶・・・すなわち、輪廻転生というものの存在に考えが至る。 わたしたちは今、未来をあきらめかけているが、おとなの務めはあきらめないこと。 どうすればいいのか、少しわかった気がする。 「みんなで理想の未来をイメージすること」 臨死体験をする前、考えたら広げた風呂敷をどう畳むか、そればかり考えていた気がします。 つまり、「やまね工房」はわたしが作ったもので、わたしには寿命があり、この経済社会の寿命とともに、わたしにはそれを閉じる責任があるのだと。 突然、事故のように日常を失ってみて、初めて