さとやま暮らし

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2014年12月28日日曜日

先祖から受け継いだ記憶



日常はそのほとんどが「慣れ」で出来ている。
「慣れ」は学習とも置き換えられ、生後その環境から習得する。
姿形は遺伝子という形骸的な伝達で決まるが、それは形だけのことなので肉体は言わば器。中身は記憶も含めて確かに伝わるのだが、それは器の遺伝子ということでなく、種として地球で経験したことも含めた記憶を、生命すべてがひとつずつ持っている、「魂」といわれるものの中に。

臨死体験後の自身の経験により、これは「量子」と呼ばれるものではないかと想像する。(勘違いかもしれないが、ミラクルで与えられた情報)
それは、地球という生命体が最初から持っているもので、絶対数は決まっている。
「器」としての肉体には寿命があって、それぞれほぼ決まっているが、「量子」には決まった寿命はなく、記憶は重なってゆく。
脳で言えば「辺縁部」のごく古いところにそれはあり、「器」の経験が事故などで消えてしまったとき、活性化する。
「種としての古い記憶」そのとき、人は確かに自然の、ある一部であり、自然界で特定の役割を持った複雑なタペストリー(織物)の大切な部分である自覚があったと思われる。それは一部であって、全部である。つまり、宇宙の法則。すべては同じ種類の「量子?」で、もとは一つである。そして、安定した状態で継続するために多様性(バリエーション)をめざし、それを「織物」(曼荼羅)にすることによって、どんな事態にあってもどれかが生き残り、またバリエーションを増やせるということがみんなの目的。そして、元がひとつだから、共感や共振を「幸福」と感じる。共通の手段は「感」でわかるもの。すなわち、音や光、色や形。

「美しい」という認識も。鳥や昆虫、植物にも意志がある。鉱物は生命の基準から言ったら動かないし、魂がないというふうに感じるが、彼らも長い時を経て結晶になったり生成したりする。つまり人の一生くらいの間に動きは見えないけれど。(宮澤賢治は鉱物にも命があると考えたらしい・・・その美しさに人は惹かれる)人類はその脳の新しい部分で、「考える」ということに執着し、「感じる」ということを忘れてしまったのかも。けれども、地球上で生命として生きてゆくためには、それをとりもどさなくては。このリハビリは相当厳しいけど。

そうしないと、人間やめる前に、生物をやめることになる。そうかといって「神」になれるわけではなく。「神」は単細胞の生物の中にあり、地球全体であり、なおかつ宇宙だから。これ、宇宙の法則。すなわち、多様性で成り立つタペストリー(曼荼羅)それぞれはなくてはならないパートを持つシンフォニーのようなもので、自身のパートの重要性と同じくらい他のパートの重要性を認識し、敬意をもって尊重する。そうすることによってしか成立しないから。

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