さとやま暮らし

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2014年10月31日金曜日

ヒメカマキリとシクラメン

家の南側に、小さな裏庭があります。
本来、南側が表のはずなんですが、ここは地形的に北向きなので、南側は面積も小さく、庭の続きが裏山(じつは南側)ということで、形的には裏庭という感じ・・・

原種シクラメン・ヘデリフォリウム
シクラメンはじつは学名で、種子を結んだ花茎がくるくるとバネのように(サイ
クル)丸まって地べたにうずくまり、種子が熟すと根元にばらまくという形態を
表すものです。種子は嫌光性と言って光を嫌い、地中で発芽します。これは砂漠のような暑くて
乾く気候の中で、種子が発芽する前に乾燥して死んでしまわないように、地中にばらまく
ための方法なんですね。
進化の長い歴史の中で、砂漠の生活に適応したすばらしい方法です。

で、ここは庭に面して大きなアルミサッシの窓なので、犬走りと小さな縁側にしてもらって、窓からすぐ手のとどくところにいくつかの植物を置いています。
手前はなんとか水をやれるし、端の方は雨水が多少はかかるので、ひんぱんな水やりは必要なしです。外を歩き回るのには、平衡感覚が戻って来ないのでまだちょっと不安がありますが、この裏庭ならばいつでも楽しめます。

日によって焦点が合いにくかったりぼやけたりで、「楽しめる」時間には制限がありますが、たぶん少しずつ慣れればだんだんよりよく「楽しめる」ようになるのではないかと思えるようになりました。

来春のシーズンには、今年はほとんどピンボケだった実生の球根たちや、自作の花たちの姿がいくらかでもクリアに見えると思うとわくわくします。

で、先日からこの裏庭の犬走りに、小さなお客さんがいるのに気がつきました。
画像が撮れたのでご紹介します。

ヒメカマキリ
中央で鎌を構える姿がわかりますか?
とても小さいです。全長2センチくらい。
最初に見つけたとき、カマキリの子どもだと思いました。でも、季節はやはり晩秋で、とても素早い動きには幼さがありません。
で、調べたらヒメカマキリで、雑木林などに当たり前に生息するものと判明しました。いや~この年までここに住んでいて、今まで知らなかったとは!

あと、とても嬉しかったことを二つ。

昨夜、10時ごろに窓際を通りかかって、聞き覚えのある鳴き声に思わず窓を開けました。すごく近い!
なんと、たぶん庭で、フクロウが鳴いています。「ホーホー、ゴロスケホーホー」うひゃひゃ、びっくり。もしかしたらペアかもしれません。
いつか大風の吹く夕方に、ベランダ上空で見たフクロウは自作にそっくりでした。
飼っていた犬が、小鳥の嘴や爪が入った「フクロウのペリット」を庭で見つけたこともあり、アカネズミが庭のはずれに植えてある「ハシバミの実」を毎年食べていて、たぶん庭に住んでいることなどから、裏山にフクロウが住んでいることは知っていたのですが、こんなに近くで声を聞くことはめったにありません。

もうひとつは、裏庭に10年くらい生きていた「タマレンゲ」(モクレンやオガタマの仲間で常緑の一日花・とても良い香りがある・・たぶんネパールかヒマラヤ南部などの東南アジア出身  なので霜や氷は苦手 なのでずっと軒下)が、この夏の乾燥で枯れてしまった・・・と思っていたら…根本から新芽が伸びているのを発見したこと。
いや~、植物の生命力ってすごいですね。
去年の後半から半年の不在で、枯れちゃったと思ったもののうち、80パーセントくらいが生きていました。

タマレンゲ
洋蘭など、絶対温度が必要なものはほとんどだめでしたが、それでもベランダで雨水や陽光を得られる場所では、生きているものもありました。
球根類などは、この乾燥がかえって自生地に近い環境となり、越夏が容易になったと思われるものもあります。
乾燥地出身の植物には異常気象と言われる昨今の日本は、かえって過ごしやすいのではないかと密かに考えているこの頃です。

2014年10月27日月曜日

花絵本

久しぶりに花絵本の原稿です。
ブログに書いてきたので、みなさんご存じかとは思いますが、花絵本で最近ブログにいらした方には・・・かも。

じつは去年の夏に解離性くも膜下出血で死にかけたので、しばらく花絵本はお休みしてました。それで、今年の交配も採種もお休み。それどころか、後遺症があって、本業もお休み・・・

でも、今まで採種した種がまだかなり冷蔵庫にあるし、去年の種はそのまま。で、まだ退院したばかりの、ちんぷんかんぷんの中、助っ人に助けられて何とか今年播いてもらう種を選び出し、発送したのでした。

それで、長野の生産者さんが、いそがしい中、大切に育てた「娘」たちを送ってくれました。
画像が撮れたので。
もう少しガタがきているロートルのカメラ、10年くらい前に秋葉原で買ったやつ。ピントが少し甘くなってきて「使えない!」と、小さくて高画質のニコンを通販で安く新調したのですが・・・
メールで送るのに画素数が多いものは一度にたくさん送れないし、なんだかうまく撮れないな~と思ってたら、ふとマクロの撮り方があることを思い出し、チューリップマークにセットしてみたら・・・あら、まだ使えるじゃん!
もちろん、後遺症のためにカメラ保持が甘く、手振れもあるから全部というわけにはいきませんが・・・












今年は送ってくれた長野の生産者さんの販売先が下記
  • 愛知県 サンリョー園芸センター緑店
  • 静岡県 立花ガーデン
  • 神奈川県 ヨネヤマプランテイション本店
  • 宮城県 ガーデン・ガーデン本店
  • 大阪府 よつ葉や
  • 大阪府 大阪府のロベリア
  • 兵庫県 陽春園
  • 福岡県 ゆくはし植物園
  • 福岡県 オニヅカバイオシステム
  • 長崎県 ガーデンカルチャー幸田
  • 宮崎県 アナーセン
の他に、種まきしてくれた生産者さん(直販しています)は愛知県の とよた花菜工房さん と、毎年おなじみの 下田農園さん(0465-35-2008)

大手さんのサカタのタネ・ガーデンセンターさんが下田農園さんの苗を、タキイさんでも別ルートで「カナリア」など、いくつかの品種を販売されているようです。
下田農園さんの苗は静岡の「花物語」さんも扱ってくださっています。

花絵本は、わたしが交配して作った品種の混合なので、画像と同じものがあるとは限りませんが、画像以外にも様々なバリエーションがあるので、お近くの方はぜひ、実際にご覧になって、その中からお好みの株をお選びいただければ、と思います。

 わたしが寄せ植えに使いたいパンジー・ビオラが無い!と、自分で選抜育種してしまった品種です。他の植物と共生する、自己主張控え目な彼らは、日本の気候に合って、丈夫で長
保ち。春の本番を通り越して初夏まで、香りや光の中でうっとりするような彩を堪能させてくれます。

自分の品種ながら、毎年、ため息とともに「かばい~~~ん」(かわいい!)とつぶやいてしまいます。いや、これがまた見られて「幸せ!!!」帰って来られて、ほんとによかった!!!

2014年10月20日月曜日

休業日のお知らせ

いつもご利用いただきありがとうございます。



10月21日〜30日まで網走店は休業させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承のほどお願いいたします。

やまね工房 網走店

2014年10月18日土曜日

つばきレストラン

大田黒さんの何冊か目の絵本、「つばきレストラン」福音館書店の、ちいさなかがくのとも・・・です。



大田黒摩利さんは、紙の「さとやま通信」を出していたときに、手弁当でイラストを描いてくれていたわたしの友人です。今は、フィールドを大切にする、絵本作家でありネイチャーアーティスト。

森の植物図鑑と野原の植物図鑑の著者、長谷川哲夫さんとご一緒に展覧会をされたこともあって、そこで長谷川さんにもお目にかかることが出来ました。

彼女は磁器の絵付けもされていて、「いきものつながり展」で、一緒に展示をするメンバーでもあります。

去年の誕生日、まだ寝たきりで、病院のベッドの上にいたとき。
送ってくれた大き目のカードは、ホームセンターで買ってきてきてもらった軽い額に入れてベッドサイドに掛けていました。



大好きな野生動物のいろいろ、まわりの人たちにも自慢だったなぁ。
今は事務仕事に使っている、この部屋に置いています。
彼女だけでなく、友人やまわりの人たちから受けた祈りやメッセージのおかげで、しみじみ生きててよかったと感じたものです。

大田黒さんのホームページです。

2014年10月17日金曜日

本の紹介 野の花さんぽ図鑑

森の・・・と姉妹本。
2冊あると、身近な植物と昆虫はほぼOKです。



長谷川さん、植物も昆虫も、ほんとに好きなんだろうなぁと思う本です。

わたしも表現するからわかるけど、植物や昆虫、描くという前に、見ていてその精巧さとか美しさに感動しちゃいます。

それをほかの人にも伝えたくて、とても難しかったり手間がかかったりするんだけど、描いたり作ったりしちゃうんだよね・・・

わたしのは力仕事だったり、「欲張って」いろいろやりすぎたから・・・途中(と思いたい)で振出に戻っちゃったけど。

長谷川さんには熊田千佳慕(90代まで制作を続けた、日本のファーブルと言われる画家)さんのように、長く描きつづけてほしいと思います。

本の紹介 森のさんぽ図鑑

本の紹介です。

これは、この前の「犬と人の生物学」を築地書館に頼むとき、同時に注文した2冊のうち一冊です。



長谷川哲夫さんという画家の、植物図鑑。
長谷川さんは植物と昆虫を描かせたら、日本で一番、とわたしが思っている画家さんです。
友人の画家で通信を出していたとき描いてもらってた大田黒摩利さんと一緒に展覧会をしたことがあって、お目にかかったこともあるし、お住まいがやまねたちを作ってくれている遠藤さんちのご近所で、何かご縁も感じましたが、とにかく描く植物や昆虫が美しい。
摩利ちゃんの絵は、やはり大好きな世界的な画家「マイヨリン・バスティン」の絵みたいで、デザイン的な工夫や彼女らしさがあって楽しいのですが、それとも違って、とてもリアルなのです。

紙の上で、植物も昆虫も生きています。
写真の図鑑も最近は豊富で、そちらの方がよりリアルと思うでしょ?
でも、じつは写真の図鑑って意外とわかりにくいの。なぜかというと光線の具合で色が違って見えたり、季節によっての違いが表現できなかったり、サイズが分かりにくかったり・・・

その点、絵だとその変化も載せてあったり、画家の目を通してどこが特徴かクローズアップして描かれているからわかりやすい。で、同級生の友人が趣味のカメラで撮った写真をホームページにアップするとき、名前を調べるお手伝いをたまにするんだけど、「ウィキペディア」でお手上げの植物をこれで調べたら一発だった!「ハグロソウ」「ウィキペディア」も、ある程度植物の知識があって、属や科までたどり着ければ名前まで行けるけど、普通の人にはなかなか難しいと思います。
が、こんな図鑑なら大丈夫。

ちなみに友人のホームページ

もちろん名前を知っててなんぼのもん、ってとこもあるんだけど、やっぱり知らないより知ってたほうが紹介するときはいいだろうし、昔の牧野富太郎先生の命名なんかは名前が美しくて感動があったりします。ま、「ママコノシリヌグイ」
とか、「イヌノフグリ」とか、びっくりしちゃう名前もあるけど。
で、そんな、森のさんぽに持って行ける、すぐれもので美しい、じつはデスクサイドに置いて、出かけられないときも楽しめる、一冊は欲しい本です。

2014年10月16日木曜日

ねこの思い出 その3

あるとき、店にバスケットに入れられた中猫(子猫より大きくオトナ未満)が置かれていました。白黒のやや毛の長いねこでした。
先住の「ちぃ」ちゃんはいじめることなく、「ちびくろ」と呼ばれていた彼はいつも「ちぃ」の後をついて歩いていました。

初対面のとき、彼は「ついてこいよ」といった感じで鳴きながら、駐車場の横に作っていたハーブ畑を案内してくれました。とてもフレンドリーで、どちらかというと犬のようでした。肩まで登ってきて頬ずりしたり、にゃあにゃあおしゃべりしたり。店主の友人は「どんくさい」と言ってましたが。いつも自転車のかごの中で昼寝していて、駐車場の車が動いても逃げないからです。

変わったねこだなぁ、と思っていて、かわいいのでもらって帰ろうかとも思ったものでした。その後、ちぃちゃんの後をついて歩いている彼が、塀の上を歩けないことに気が付きました。
側対歩…ラクダの歩き方で、右手・右足が同時に出る歩き方です。これじゃ塀の上、歩けないわけです。歩こうとして落っこちます。
そんな彼でしたが、ちぃと一緒にとても楽しそうに毎日を過ごしているように見えたので、もらって帰るのはやめました。
そして、それから冬が来て、お客さんの車に轢かれて「ちびくろ」は短い生涯を閉じました。とてもヘンテコで、天使のような猫でした。

下の画像は「ちびくろ」をモデルにしたぬいぐるみ。実際の写真は残念ながらありませんでした。作っているときも近くに来ておしゃべりしていたような気がします。


クラフト教室で作った「クロモジの枝製かご」を飾った店の入り口
店内

クラフト教室の観葉植物用かご
クラフト教室も、猫たちも、ときどき焼いていたシフォンケーキも、どれも今はセピア色です。

このほかにも猫とのつきあいは、自分で飼ったことはないのですが、迷い子猫を3週間くらい預かったり、近所で目ヤニか何かで目が明かないオトナの野良猫の目をティシュでふいてあげたら、その猫よりもっと具合の悪そうな猫を彼が連れて来たり・・・
母猫が子どもを1匹置いて行ったり・・・

と、感情があるとしか思えないやりとりが幾度かありました。
犬とは、石器時代からの遺伝子レベルのお約束がある気がしますが、猫とは、人と同じような個体間の関係があると感じています。


猫でもいいから飼いたいな~と思うこの頃ですがまだ自分の世話も出来ないので当分お預けです。

そのうちきっと、また何か出会いがあるかな、と期待しています。

2014年10月15日水曜日

ねこの思い出 その2 ハートランド

今から20年くらい前、友人の丸太小屋レストランとフィールドメッセージという雑貨とアウトドアの店を手伝っていました。

レストランの外観です。今はもう閉めちゃったのでありませんが。

雑貨とアウトドアの店は2年くらいで閉めちゃったのですが、レストランの方のテラスの下で、クラフト教室をやったり、フィールドメッセージで「ねこ展」もやりました。

店で飼っていた赤トラのねこが「ちぃちゃん」という名前で、看板猫してました。とても運動能力が高く、賢いねこでした。

看板猫「ちぃちゃん」


「ちぃちゃん」に似せて作ったぬいぐるみ

冬は、駐車場に止めた、お客さんの車の上が温かいのを知っていて、よく車の上で寝ていましたが、あるとき、お客さんの車(RV車で上にキャリーが付いていて、その上に載っていた)に乗ったまま1時間近くたってから、お客さんが鳴いているのに気付いて戻ってくれる、という事件がありました。2時間くらいドライブしてきちゃったのでした。

あるときはメジロ、ヒヨドリやモグラ、ハツカネズミ、と狩りの名手で、ツバメの巣立ち雛や、スズメの雛を2羽一度に捕まえて来たこともあります。
猫は柑橘が苦手といいますが、メジロやヒヨドリは捕まえてもなぜか食べませんでした。
そして、獲物を捕まえると、母猫が子どもを呼ぶときの声で鳴きながら、見せに来るのです。小さなハツカネズミの子どもを咥えて来たときは、生きていたので助けようと、竹かごをかぶせたのですが、その後逃げ出したそれを執念深く待ち続け、とうとう捕まえてまるごと食べてしまいました。

ときどき、おみやげで猫缶を持って行ったのですが、「おみやげ」の言葉を覚えてわたしのかばんをチェックしてましたっけ。

2014年10月11日土曜日

ねこの思い出 その1

すごーく前のアルバムに旧友を発見しました。スキャナーで取り込んでみました・・・

今から三十云年前。

専門学校生だったわたしは、品川区の母方のおばの家がアパートだったので、その1室に住んでいました。フォーク(音楽)全盛の頃、4畳半一間に小さな流しとガス台が付いていました。今では考えられませんが、昭和50年代の東京では、そんな六畳一間に家族が住んでいた時代です。お風呂は銭湯。でもわたしはおばさんちのお風呂に入れてもらっていたので、銭湯はたまにいとこと一緒に行くのが楽しみでした。

銭湯に行く途中に縁日が立つので、その日にちをねらってよく行きました。
日暮れの白色灯のなか、様々な出店をひやかして歩くのが楽しかったな~今ではセピア色の思い出です。
あるとき、玄関のドアの外に、魚をくわえた猫が一匹いました。
すぐ近所に公共市場があって(たぶん終戦後に作られてずっとそこにあった、魚屋さんや八百屋さん、歯医者さんやパーマ屋さん、などが出店していました。並びに焼き鳥屋さんもあったな)、たぶんそこから失敬してきたか・・・猫はわたしを見て、逃げようとしました。




逃げようとした猫に声を掛けたら、振り向いた猫と目が合いました。
そして、彼女とのその後数年に及ぶ友情が、その瞬間に芽生えたのでした。わたしはそのねこを「あいちゃん」と呼んでいました。目→eye・・・がとても大きく、いとこが名づけたのでした。三毛猫で尾が長く、ほっそりしていて綺麗な猫でした。そして、気品があって美しかった。

愛想が良くて、たぶん生活の知恵でしょうね。後からわかったのですが、今で言う地域猫のように、ご近所のあちこちでいくつもの名前で呼ばれていたようでした。きっと、最初は飼い猫だったのでしょう。引っ越しで置いていかれたか、捨てられたか。もう成猫であまり若くない印象でした。

付き合いがあるうちに3回子どもを産んで、最初のときは子どもをわたしに預けて餌を探しに行きました。連れてきて、置いて行っちゃうのです。子どもたちはそんなに人なつっこくはないのですが、しょっちゅう預けられているうちに触らせるくらいには慣れました。何回目かのうちに、抱っこして部屋の中に入れたらパニックになって、ああ、やっぱり野良だなって思ったものでしたが、触るくらいは許してくれました。母の友人のおばちゃん、というところでしょうか。




そのうち、大家さんちの物置とか、わたしの部屋の押し入れや2階の共同流しの下とか、住居に侵入して目の開かない子猫を発見するに至り、いくら姪とはいえ店子の身なので段ボールを用意してみたり・・・でも気に入らなくてどこかに連れて行ったりしながら、何匹かが育ち、子猫のうちに誰かに連れ去られたり(とても人懐こい子だったので、拾ってもらったんだと思いたい)、巣だってぼろぼろになって帰ってきて、次の子どもと一緒におっぱい飲んでたり・・・6匹生まれたときは育ちの悪い1匹が時々来ていた別のいとこの車の下に入っていて、轢かれたり。嫌がる厚生物質を飲ませたばかりだったので、ショックでしたが6匹の野良ちゃんが、全部育つと考える方に無理があったわけで。
最後の2匹はご近所の塀の間から追い出されたとき、2匹ともいわゆ猫はしかで目が見えず、獣医さんに連れて行ったのですが一匹はその日に息絶えて、もう一匹は脳にウィルスが入ってしまい、母猫を攻撃するようになって、結局一週間くらいしか保ちませんでした。今の時代だったら、近所迷惑でトラブルになるところでしたが、当時はまだ「いい時代」だったので、野良猫も放し飼いの犬も、地域の住人だった気がします。

そして、猫の親友はそれから数年後、近所の猫好きなおばあちゃんに引き取られ、避妊手術をしてもらったようでした。たまにはわたしのところにも顔を出すという感じでしたが、最期のとき、1週間くらいかな、毎日出勤するわたしを戸の外で待っていました。お腹空いてるのかな、と牛乳や煮干しをあげても食べないで、ただ顔を見て「にゃー」というだけ。ある朝、ぱったり来なくなって、ご近所で聞いたら、その時の飼い主さんが猫が居なくなって探していると・・・

ああ、お別れだったんだな、と思いました。

猫とは親友になれる気がしました。

犬とは、個体間ではなくて、死んでからも代々、人との付き合いは有史以来。
遺伝子に共通の変化もあると聞くくらいで、種としてのお約束があると感じますが、猫とは個と個としての、友達関係が成立すると、わたしは思います。
そして、この時から現在までに、何匹かの猫と友達になりました。
これは、その最初の猫です。