さとやま暮らし

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2014年5月1日木曜日

日常と非日常

世間はゴールデンウィークです。
またしばらく、ご無沙汰しました。
書きたいことはいっぱいあるのですがランダムになっちゃっててまとまらない・・・ま、日記なんてそんなものかもしれないし、端から書けばいいのにね。

じつは無謀にも社会復帰を目指して、女子美大の講師を4月から始めたのだけれど。
それが本当に無謀だと気が付くまでにこんなに時間がかかるとは、正直入院中は思わなかったのです。
なぜって、日常というものを理解していなかったから。
今になって初めてわかりました。

入院中、とても励まされた出会いがあって、その方が今は非日常だからと言ってくださいました。その時、それはわかっているつもりでした。
でも、血管が切れて初期化されちゃって気が付いたときはベッドの中で、それからこちら、その状態が日常だったということはわかっていませんでした。
その前の日常は何でもできた日常でした。だから、以前の生活の中で出来ない自分の日常は想像すらできなかったのです。

つまり「非日常」が「日常」で、「日常」そのものが理解出来ていなかった。
部品が壊れたのだったら、だめそう、とかいけそうとか、予測できるのですが、予測するところそのものが壊れちゃったので、そもそも予定が立てられないとようやく気付いたのでした。まだ早いと言ってくれた担当の理学療法士さんの言葉も、本当の意味では理解出来ていなかったのだと思います。

予定と思っていたことは、「目標」でした。
予定や約束が出来ない。これはとてもショックでした。
相手があることなので、迷惑をかけちゃうし、それが出来なかったらどうすればいいのかわからない・・・
ひどく落ち込んで、助っ人を頼んだ友人に相談しました。
そして、会話の中で出来る準備をしておくこと、が必要だと諭されて気づいたのです。それは、たとえこの状態になっていなくても必要なことで、出来ることだと。伝えたいことを正確に、相手にわかる文字にすることは、この体にはとても難しく、正直かなり疲れました。でもそのおかげで頭のリハビリにはとてもなったし、6日の予定を2日お休みして(まだ1日残っています。)3日だけ、何とか東京・杉並まで、新幹線とタクシーを乗り継いで行って来ることが出来ました。

もちろん、行政やお金や、JRや、学校関係者、そして何より友人やスタッフのお世話になって、ですが。

画像は、暮れの外泊で帰宅したときに発見した、干からびた球根から咲いたチューリップ(ご近所さんに飢えてもらった)と、お気に入りのピンク色のカップをしたしずく水仙、と今年も咲いたエンレイソウの仲間です。





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