さとやま暮らし

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2014年3月10日月曜日

ある日の出来事

ものわすればあちゃんと身体しょうがいの中年むすめ二人暮らし、ですから買い物は生協(生活協同組合)にお願いしています。週に一度カタログをもらって翌週注文すると、その翌週自宅に配達してくれるという仕組みになっています。
今はネットで注文してもよいのですが、この状態で始めるのは自信がないので旧態然のアナログ発注です。


今の生協は食品・日用品のほかに衣料品や趣味のものまでなんでも揃います。まあ、本来は町の小さな専門店・・・肉屋さんとか八百屋さんとか魚屋さんとか・・・を回って、その日に使うものを購入するのが理想ですが。そういう暮らしが、今の世の中ではとても難しいものになってしまいました。

思えば、30年くらい前の東京・下町に暮らしていたときは、そんな感じでしたが。その当時でさえ田舎はすでに郊外型スーパーが幅を利かせていましたね。脱線しました・・・

で、生協で注文した「国産山菜炊き込みご飯の素」なるものを、夕方ご飯を炊くと言っていた母に、流し台の上に置いて「あとでご飯炊くときに入れてね」と頼んだつもりだったのですが・・・
ご飯を研いでセットしている母に、「あれ?炊き込みの素は?」と聞いたところ「何それ?」ってさっき言っただろう?と思ったけど、流し台のとこに置いたでしょう?どこか仕舞った?
って言ってみたら、全然記憶してなくて。
それから探すこと探すこと。でも入れそうなとこ全部見たけどない。そのうち「わたし、何探してるんだっけ?」「あり~?」となって。
それからもういっぺん冷蔵庫を見たら、なにやらそれらしいものが、おかずを入れる蓋物の中にいるではないか。

「う~ん、ここまで来たか。」でした。
炊き込みごはんは、それからすぐに電気釜に投入されて美味しいごはんになりましたとさ、だったんだけど。もう、笑い話。ってか、笑うしかないです。
もしかしたら、わたしと同じようにいっぺんに二つのことは記憶できないのかも。
というかすぐには対応できても、あとで~して、というのはNGなんだね。
こりゃ~えらいこっちゃ。いままでは普通に対応出来てたのにね。
この頃、仕舞ったところがわからなくなって、ずっと探してるうちに「わたし何探してるんだっけ?わかんなくなっちゃった」ということがよくある。わたしが入院する前はなかなか見つからないことはあっても、探してるものがわからなくなることはなかった。そしてこの延長線上にたぶん、誰かが持って行っちゃった、もしくは「盗った」がある。認知老人と家族(たとえば孫とか嫁)と家族もしくは他人(介護保険とかの介護者)とのトラブルの元。

母も留守番してくれた人たちとの間に少しそれらしい兆しがあったらしい。
でも、著しい環境の変化(同居の娘が突然入院)があったわけだし、いくらか改善してくれたらいいな、と希望的観測。この前、わたしの退院後の外来受診に母を連れてゆき、認知症のテストをしてもらいました。介護認定のやり直しと、もし投薬などで積極的に治療できるなら、やってみたいと思ったから。


そしたら、「入院中に吐き気がして、救急車でわたしのいるところと違う病院に運ばれる」という事件があったんだけど、そのときにかかりつけの医院で出してくれていた「認知症」の薬を、それが副作用とみて止めたという経緯が、どうやらあったらしくて。で診察してくれた院長は、「様子を見ましょう」と。
まあ、確かに副作用の心配までして、「認知症」を治療することもないのかも。
母はまだ身の回りのことは自分で出来るし、危険なことはわかる。ご飯も炊けるし、徘徊もしない。なにより、母として「人」の道にはずれることはしてはいけない、と教えてくれたりする。だから、記憶が出来ないだけなのです。

もうひとつ笑い話。
日にちの認識がなくなってきたから、今日が何月何日で、何曜日か、一日に何度も聞いたり、新聞で確認したりする。入院中も新聞を持ってきて、と頼むわたしに、新聞を全部取られると私が困るって抵抗してたけど、それはこういうことだったんだね。
母はずっと日記を付けている。その日付がだんだん怪しくなってきた。書くのを忘れることもあるし、この頃ときどき明日の日記を書いちゃったりしてる。

2014年3月5日水曜日

犬たちの写真

以前書いた記事に登場した犬です。

2005/6 デイジー一家

2005/1/30 デイジーとガイ

2006

2007/6 網走

テディフレーム

山梨ジャック
家の3匹

デイジーフレーム

ガイとサッカーボール

ショコラ フレーム

2014年3月4日火曜日

ある日のメール

こころを病んでいる友人にあてたメールです。
退院してからいただいたメールの返信として書きました。
その方とは病を得るずっと前に知り合いました。
ときどきメールのやりとりをしています。

ここから-----------

人生とは、修行である。
この言葉をかみしめる毎日です。


認知老人と身体障がい者では生活は成り立たない・・・のでした。
でも、成り立たない、と認識できてからは開き直って行政とお金に頼ることに決め、それからは思い悩むことはなくなりました。
記憶や経験則が使えなくなってしまい、ものや流れを再入力する必要を感じたからです。

それをやりつつ、女子美の講師は4月から6日だけやることにしました。
まだ早い、というか完璧にはできないと思いますが、友人に助っ人をお願いして。意欲があるうちに始めないと、外に出られなくなりそうで・・・じつはまだ、杖2本使っていますが垂直がわからず、ときどきよろけるし体重移動もしっかりできません。

リハビリは5か月しましたが、胃ろうで3か月寝たきりだったし、最期になってようやく筋肉が少し付いてきた感じです。
声帯も片方が動いていないので、声もでにくいし、緊張すると少し吃音になります。なにより同時に二つのことが出来ないので、緊張すると呼吸を忘れます。でも、外に出ることは何より楽しいし、他人と接することは必要不可欠だとわたしは思います。

認知の母とふたりだけでは、精神の健康は保てません。
だから、危険を排除するためにお金を使うことにしました。残す必要もありませんし、幸い食うに困るということはありません。
動き、に対して蓄えはできませんでしたが、幸運なことに人にはとても恵まれていますし、その日のご飯に困ることがないのもとてもありがたいと思います。

健康を害して禄を得られないとき、それを補うだけの蓄えがあって、わたしが居なくても給料が出せる仕事をしていたのがなによりありがたいと思いました。

本当にわたしはラッキーです。
お医者さんにも言われました。
こんなに良くなるとは誰も思わなかったって。
幸運を自覚しなさいと。

シチュエーション的には思い切り不幸な去年の誕生日は、病院のベッドの上で。
でも、生き返ったわたしは今まででいちばん幸せと思える誕生日でした。
だから、シチュエーションではないのです。
たまたま与えられたポジションを「楽しむ」か「苦しむ」か。
たとえばそこに苦しみがあったとしても、同時に何か楽しみを見つけられるか?
それが苦しみだけだったら、とても耐えられないと思います。

でも、人がいっぱいいるところに出ていくと、不思議なことにいじめる人もいる
けれど、たいていは助けてくれる人もいるのです。
こもっていると、そのどちらとも出会うことはないのです。

ここまで-----------

その方は就職に悩んでいらしたのですが、わたしはこれに続けてやってみれば?
と書きました。