退院してからの一週間

この期間は「わけのわからない怒涛の一週間」でした。
だって、病院と家はまったく違う・・・考えてみれば当たり前なんですけれど
病院では身の回りのものは何でもベッドまわりにあったし、覚えておかなきゃならないことは3度の服薬とリハビリの予定、それにお見舞いの約束くらいでした。
それでも、見舞いに来てくれる人に、その日のリハビリ時間がわかったらメールする、と言ってそれを忘れちゃったり、日にちそのものを忘れたり、リハビリ時間を覚えていなかったり・・・でも、そんなのはたいして気にとめていなかった・・・
だって、そんなのはたいしたことじゃなくて、リハビリは迎えに来てくれるし、お見舞いも退院したり、外出したりするわけじゃないから。

ところが、自宅に帰ったらたちまち、毎日がケアマネージャーとの打ち合わせだったり、介護用品屋さんとの契約だったり、母のデイサービスの契約や、ヘルパーさんの派遣会社との契約・・・もうスケジュールいっぱいで・・・しかも今までの日常と違うから、疲れる、疲れる。

おまけに母は今まで一人でがんばっていたから、わたしと協調することができなくて、お互い自由にならないと感じる。母は少し耳が遠いのに、わたしは声帯の片方が麻痺で動かないので、声が出にくい(12月に耳鼻科を受診し、内視鏡で動画を見せてもらったら、右の声帯がまったく動いていなかった・・・今の内視鏡ってすごいのね)から、言葉が通じず。
何回も言ってるうちにだんだん怒鳴るようになって、母からみれば怒ってる、とか命令されてるみたい・・・で。

おまけに母も半年前に比べて記憶が難しくなってしまって。
だから、出来ないことを母にやってもらおうと思っても一苦労・・・
持って歩けないから、いつも使うものはテーブルの上に。とか、電化製品や湯沸しの電源は起きている間入れっぱなしに、とか。
これが、母にしてみれば「命令」なんだろうね・・・
わたしは「お願い」してるつもりなんだけど。しかも朝から晩まで何回も何回も。

体力的にも気力も、普通の生活はまだとても無理なのでした。約束は忘れちゃうし。
一週間の予定をカレンダーと、手帳に書いて確認するだけで、一日かかってしまった。
高額医療の払い戻し請求も、書かれていることがなかなか理解できなくて、口座を印刷してあるのに違うこと書いたり、ハンコが押せなくて押し直したり・・・去年の分だけ領収書を用意するのにバカみたいに時間かかったり・・・口座を確認したり、ハンコ取りに行くだけでえらいことなんですものね。こんなの想定外!

そして、もうひとつ・・・
どこに何を置いたかわからない。頭がはぜちゃったから?もしかしたら単純に半年のブランクのせいかもしれないけど。その前はめちゃくちゃいそがしくて、飼っていた犬が立て続けに2頭旅立ってしまったし(落ち着いたら庭に埋葬するつもりがまだお骨のまま犬舎に入ってる)、やらなきゃいけないことがたくさんあって、正直いろんなことは後回しだったので全部終わっているだろう8月に、ということで・・・そのまま放置。
そしたら8月になる前にもう少しであの世に行くところだったのでした。

で、退院後一週間、どうにもならないところに雪が降ってきて積もってしまい、おまけにできないことをやろうとしてしりもちをつき、不覚にも泣いてしまった・・・もうパニック!!

でもそれで冷静になって、よく考えたらこれは成り立つわけがないのです。
だってどっちも物忘れだし、わたしはまだ、今は歩けないんだから。

これはお金で解決するしかない! と思い立ったら、あとは簡単。
有料のヘルパーさんを頼んで一日一時間、毎日少しずつ片づけながらいらないものを処分して、ついでに再インプットする!
一日一時間くらいなら何とか疲れずに済みそうだし、その程度ならインプットも出来そう。
友達が来てくれるって言ってくれたけど、今の状態では一日中はとても無理だし、数日で終わるとも思えない。情報量的にも一度にはとても処理できそうもないし。リハビリがてら毎日少しずつ・・・時間いくらのヘルパーさんなら気兼ねもないしね。無理しないで済む。
まず、これをやるって決めたら、とても気が楽になった。
それから、母のデイサービスをもう一日、お泊り出来るところにお願いすることにした。
いざっていうとき、そのほうが安心だし。

そして契約の日、一通り話が終わって席を立つ直前、そのデイサービスの責任者氏になぜそこに勤務することになったのかを尋ねたとき。彼は南三陸のご出身であの震災の翌日、現地に行って止められたこと、そしてお身内は無事だったけど、それまでご自身で経営されていた仕事を続ける気にはならなくて、直接人の役に立ちたいとこの仕事を選ばれたことなどを話してくださった。

入院中、いろんなことを考えて、昨日と同じ明日が来ることを前提にして成り立っている今の社会が、なんだかとてもおかしなものに感じていました。だってあんな震災にあっても?  まだ3年も経ってないのに! (このあたりはまた別の機会に)
そして、置き去りの東北が話題になって、こんな人がいる施設なら、母を安心して預けられる、と、煮詰まっていたわたしの肩の荷は、またひとつ、降りたのでした。

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